モンゴル国旗に描かれた「ソヨンボ」は、
活仏ザナバザルによって1684年に考案された。
↓ザナバザル美術館に展示されていた一メートル以上ある「ソヨンボ」は
17世紀に彼自身が製作したものを1960年代の複製している↓
↑いちばん上に炎
↑丸い太陽、三日月、
↑左右に国土を守る壁
↑真ん中=陰陽が合わさる丸は人間?
↑下向きの三角は武器
↑ひとつは自分の内側にいる敵に向かい
↑ひとつは外側の敵に対している
※と、ガイドさんが説明してくれた(諸説あり)
↑1911年に清から独立を宣言したモンゴルの国旗にも使われている↑
↑金製の「太陽」と「月」のセットが二千年前の遺跡からも出土した(モンゴル歴史博物館より)↑「匈奴」と呼ばれた民族が支配していた時代。ソヨンボはシャーマンの昔からこの地で信仰の対象だったシンボルを、後の仏教信仰と統合して考案されたのだろう。
↑ザナバザルは「ソヨンボ文字」のアルファベットを考案した人物↑
↑左上、最初に「ソヨンボ」が記されている↑
「ソヨンボ文字」は当時の教養言語であるチベット語とサンスクリット語をモンゴル語と共に表記するために考案された。
当時縦書きのモンゴル文字はすでにあったが、それではチベット語とサンスクリット語を正確に表記できなかった。
**
ザナバザル美術館の正式名称はThe Zanabazar museum of fine art。
Fine artだけでなく個人の名前がつけられている。
ザナバザルは高僧というだけでなく、モンゴル史上最大の美術家としても認識されている。
美術館自体は1966年の開館だが、建物は1905年にロシアの商人が建てた。
当時の写真が館内に掲載されていた↑大幅に改築されているが確かにこの建物。
入館料15000トゥグルク(約600円)
撮影料45000トゥグルク(約1800円)
十二の展示室で構成される二階建て、
それほど大きくはないが展示は紀元前の発掘品から現代まで幅広い。
↑ポスターにもなっている↑ザナバザルの制作した像は二階の中心に集められていた。
中央にある前出の「ホワイト・タラ」神の像は非の打ち所がない。
↓まずは後ろ姿をごらんください↓
どの角度から見ても全く隙がない。
十六歳の女性をモデルにしたとという伝承があるそうだが、人間的な・写実的な部分と神的な完璧さが融合している。
↑近くにあったこの像もザナバザルの作↑衣の下の踏み出した脚が妙にリアル↑
こういう独創的な造形を見せられると↓周囲に並べられている一般的なスタイルの像が
↑えらく凡庸に見えてしまう※これらも一体だけ置かれていれば見入ってしまうような出来なのに。
ザナバザルが現代まで続く名声を得ているのは伝説の高僧だからだけではない。
↑彼が製作したこの「ホワイト・タラ」の像ははっとさせられる↑
卓越した鋳造技術は現代でも評価が高い。
↑こちらは2022年に開館した「チンギス・ハーン博物館」に展示されている逸品↓
「モンゴルにルネッサンスを導入したアジアのミケランジェロ」と呼んだヨーロッパ人がいたのもわかる。
なんとも人間的な仏像。
↑この像はもとはチョイジンラマ宮殿にあったもの。
翌日訪れて↑「ここにありました」と悔しそうに表示されていた。
***
コロナ禍の2021年に
ザナバザルが製作した21体のタラ神を集めた展覧会が開催されたそうだ。
※記事にリンクします
モンゴル史を代表する美術人ザナバザルの作品はどの博物館も保有していたいに違いない。
今回訪れたウランバートルのミュージアム4か所それぞれでザナバザルの作品が展示されていた。
仏教が大弾圧されていた社会主義時代を生き延びたのは幸いだったが、
壊されたり溶かされたりしたものも多いだろう。
ザナバザル博物館の最後にこんな展示があった。
↑廃墟になった修道院に残されていた壁画を救出している↑
↑草原にぽつんと残されていたこの建物↑
社会主義時代のモンゴルでは猛烈な仏教弾圧が行われた。
※2008年にツェツェルレグを訪れた時のブログをお読みください
・・・続く
活仏ザナバザルによって1684年に考案された。
↓ザナバザル美術館に展示されていた一メートル以上ある「ソヨンボ」は
17世紀に彼自身が製作したものを1960年代の複製している↓
↑いちばん上に炎
↑丸い太陽、三日月、
↑左右に国土を守る壁
↑真ん中=陰陽が合わさる丸は人間?
↑下向きの三角は武器
↑ひとつは自分の内側にいる敵に向かい
↑ひとつは外側の敵に対している
※と、ガイドさんが説明してくれた(諸説あり)
↑1911年に清から独立を宣言したモンゴルの国旗にも使われている↑
↑金製の「太陽」と「月」のセットが二千年前の遺跡からも出土した(モンゴル歴史博物館より)↑「匈奴」と呼ばれた民族が支配していた時代。ソヨンボはシャーマンの昔からこの地で信仰の対象だったシンボルを、後の仏教信仰と統合して考案されたのだろう。
↑ザナバザルは「ソヨンボ文字」のアルファベットを考案した人物↑
↑左上、最初に「ソヨンボ」が記されている↑
「ソヨンボ文字」は当時の教養言語であるチベット語とサンスクリット語をモンゴル語と共に表記するために考案された。
当時縦書きのモンゴル文字はすでにあったが、それではチベット語とサンスクリット語を正確に表記できなかった。
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ザナバザル美術館の正式名称はThe Zanabazar museum of fine art。
Fine artだけでなく個人の名前がつけられている。
ザナバザルは高僧というだけでなく、モンゴル史上最大の美術家としても認識されている。
美術館自体は1966年の開館だが、建物は1905年にロシアの商人が建てた。
当時の写真が館内に掲載されていた↑大幅に改築されているが確かにこの建物。
入館料15000トゥグルク(約600円)
撮影料45000トゥグルク(約1800円)
十二の展示室で構成される二階建て、
それほど大きくはないが展示は紀元前の発掘品から現代まで幅広い。
↑ポスターにもなっている↑ザナバザルの制作した像は二階の中心に集められていた。
中央にある前出の「ホワイト・タラ」神の像は非の打ち所がない。
↓まずは後ろ姿をごらんください↓
どの角度から見ても全く隙がない。
十六歳の女性をモデルにしたとという伝承があるそうだが、人間的な・写実的な部分と神的な完璧さが融合している。
↑近くにあったこの像もザナバザルの作↑衣の下の踏み出した脚が妙にリアル↑
こういう独創的な造形を見せられると↓周囲に並べられている一般的なスタイルの像が
↑えらく凡庸に見えてしまう※これらも一体だけ置かれていれば見入ってしまうような出来なのに。
ザナバザルが現代まで続く名声を得ているのは伝説の高僧だからだけではない。
↑彼が製作したこの「ホワイト・タラ」の像ははっとさせられる↑
卓越した鋳造技術は現代でも評価が高い。
↑こちらは2022年に開館した「チンギス・ハーン博物館」に展示されている逸品↓
「モンゴルにルネッサンスを導入したアジアのミケランジェロ」と呼んだヨーロッパ人がいたのもわかる。
なんとも人間的な仏像。
↑この像はもとはチョイジンラマ宮殿にあったもの。
翌日訪れて↑「ここにありました」と悔しそうに表示されていた。
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コロナ禍の2021年に
ザナバザルが製作した21体のタラ神を集めた展覧会が開催されたそうだ。
※記事にリンクします
モンゴル史を代表する美術人ザナバザルの作品はどの博物館も保有していたいに違いない。
今回訪れたウランバートルのミュージアム4か所それぞれでザナバザルの作品が展示されていた。
仏教が大弾圧されていた社会主義時代を生き延びたのは幸いだったが、
壊されたり溶かされたりしたものも多いだろう。
ザナバザル博物館の最後にこんな展示があった。
↑廃墟になった修道院に残されていた壁画を救出している↑
↑草原にぽつんと残されていたこの建物↑
社会主義時代のモンゴルでは猛烈な仏教弾圧が行われた。
※2008年にツェツェルレグを訪れた時のブログをお読みください
・・・続く