旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アブシンベルからアスワンへの陸路~トシュカの夢、飛行機でカイロへ

2016-12-10 12:27:09 | エジプト

アブシンベルの夜明け

ナセル湖にのぼる太陽。小船が漁をする。

こんな看板を見つけた。かつては下流までたくさんいたワニだが、今はこのナセル湖までしか生息していない↓

**当初は飛行機でアブシンベル⇒アスワンへと戻る予定だったのだが、出発近くなってから朝のフライトがなくなってしまい、陸路を三時間走ることになった。しかし、これ、なかなか面白い経験となった。村のモスク↓

行理列するトラックはどこへ?「あれはみんなスーダンへ行くバスなんです」とガイドさん↓

スーダンでは多くの日用品を輸入にたよっているのだそうだ。我々からすればアブシンベルは南の果ての砂漠都市でしかないが、より南のアフリカ諸国の人々にとっては、地中海・ヨーロッパ・西欧社会からの便利な品物の入口なのだろう。

もっと小さな村のモスク↓

いよいよ道は砂漠へと入った。ずっと・・・黒い道が砂漠をつっきってゆく↓

やがて水路があらわれ↓

蜃気楼かと思う街が遠くに見えてきた。これは、いったい?↓

「これがトシュカかぁ」

小松がエジプトへはじめて来たころから、二十年以上にわたりエジプト政府が建設をすすめてきた砂漠の中の人工都市である。※⇒こちらにもう少し書きました。

どこまで実現しているのか?人が住んでいるのか?今回は確かめるまでの時間はなかったが、この「街」を我々外国人がふらりと立ち寄るのは可能なのだろうか?

**たった一か所、途中に我々が休憩できるカフェが、かろうじてある。それでも、設備はこんな程度↓

トイレはこんな⇒ 

砂漠をドライブするというのは、日本の田舎をドライブするのとは違う。そこで売っていたレモンと唐芥子味のポテトチップス↓

ゆらめく蜃気楼をみながら、皆さん砂漠をながめるのです↓

砂漠はしかし、なにもない場所ではない。近年できたセメント工場だときいた↓

***お昼にアスワンにもどってきた。きのうの飛行機の旅とは全く違う体験ができた。

昼食に、モロヘーヤスープ↓

グリルチキンとコシャリ・ライス

アスワン空港から国内線・カイロ行に搭乗します↓

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夜のアブシンベル

2016-12-09 22:18:39 | エジプト

アブシンベルのホテルは大神殿からバスで五分ほどの立地にある。
全室コテージタイプ↓





ベランダからナセル湖が見える↓




売店には、お土産に好評のガラスの香水小瓶↓




この時期は日暮れが早いので、夕食前に「音と光のショー」を見に行こう。これを見るためにアブシンベルに泊まると言ってもよいほど、最初に見た時大感激した。今なら「プロジェクト・マッピング」というやつなのだが、当時はそんな言葉はなかった↓



今日は満月にちかくて、夜空がとても明るい↓



大音響で流される言語は、その日いちばん多い観客のもの。小松は二度ほど日本語版・日本語で語るラムセス二世の声を聴いた。ほかにロシア語もきいたっけ。さて、今日は・・・クルーズ船にアメリカ人がたくさん乗っていたので英語でありました。そのほかの言語は、このイヤフォンガイドで聞くことができる。アンテナをのばしてFM電波をとらえるもの↓




四十分ほどの上映時間はちょうどよい。もしも、話がわからなくても、この神秘的な夜景を見ているだけで飽きることはない。


ナセル湖にちょうどオリオン座↓こんな風に写真にとれるなんてびっくり↓



ショーが終わってしばらくは神殿をライトアップしておいてくれる↓



このチャンスにみんなで写真撮りましょう(^^)/→


ホテルに戻って夕食バッフェ。下の果物、右はリンゴ、左は・・・グアヴァなんです↓



アーティチョークなんかもありました↓




翌朝、ご希望の方は日の出を見に神殿へ。

ホテルが面するナセル湖にはワニも生息しているそうな(^^)ホント

とってもリアルな動く木製ワニ↑
1990年代にはじめてアスワンを訪れた時、市場で小さなホンモノのワニを売っていてびっくりしたっけ。


 

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アブシンベル到着、昼の神殿へ

2016-12-09 12:25:07 | エジプト

四日を過ごしたクルーズ船、最後の朝。ワニがベランダに来ていた(ウソ)↓

対岸の岩と砂の山、何千年もナイルを見つめてきた↓

頂上のイスラム隠者の廟あたりに人影がみえた↓

空港へ行くバスを途中で止めてもらい、砂を拾う。このあたりの砂はカイロ近くの砂漠よりもずっときれいだから エジプト航空の機内誌は「ホルス」

三十分と短いフライトの間、眼下にはずっとナセル湖が見えている。アスワンハイダムがこの湖をうみだし、多くの村や神殿がこの下に沈んでいる↓

この湖を一週間クルーズでまわる旅もあるが、日本人はあまり参加しない。飛行機がアブシンベル空港に向けて高度を下げてゆく。だいぶ地上がちかくなってきたところで、左手にみえてきたのは・・・

あ!神殿 ↓

さらに陽射しを増したアフリカの太陽。だが、乾燥しているので日陰でバスを待つ⇒ ようやくやってきた立派なバス。以前のおんぼろバスは役目を終えたのだそうだ。宿泊しないツアーではこのバスを乗合で使って神殿へ往復する⇒ 六年前とおなじ空港スタッフが迎えてくれた↓以前と変わらぬジョークで。「みなさんがいるのはどこですか?」と質問する。「アブシンベル」とみんなが答えると・・・「チガイマース、バスの中」(笑)というのがお決まりになっております↓

昼食は「ヌビアン・ハウス」にて↓

 野菜のタジンが見た目よりもおいしい⇒ 

ホテルへチェックインする前にアブシンベル神殿を見に行く

入場するとすぐにこんな小山が見えてくる。実は、これこそが神殿の山↓

人工の山なので、内部は空洞になっていて、その空間への入口が見える↓

ぐるりとまわり込んでいくと・・・ナセル湖を見下ろす位置に、アブシンベル大神殿が姿をあらわした↓

こんな巨大なものを四千ものブロックに切り分けて、ナイルの河岸からすくいあげたのだ↑

ナセル湖をとんでゆく渡り鳥

となりの小神殿は、愛された王妃ネフェルタリのためのもの↓

お土産屋さんの攻撃をかわして ホテルへチェックイン。

日が暮れてからの「音と光のショー」が楽しみ(^^)

 

 

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アスワン~ヌビア博物館

2016-12-08 20:42:33 | エジプト

ヌビアとは、エジプト南部から現在のスーダンの地域に住む民族の名前。エジプトというイメージとは違う、アフリカの民族である。エジプトは地中海に面したアラブの国である。そこからはるか南のアスワンは、カイロやルクソールとは違う、アフリカの風を感じる街。


この街の住民たちが「我々の歴史」を誇ることが出来る場所が「ヌビア博物館」。立派なハコ→たくさん地元の子供たちが学習にやってきていた。昼間よりも夜の方が過ごしやすい土地だから。



エジプトの三十一におよぶ王朝は同じ民族が支配者だったわけではない。特に、第25王朝(BC747~656)はこのヌビア人の王がエジプト全土を支配していた。今は再びエジプト人に支配されて、時に虐げられていると感じている彼らにとって、この時代を知る事は、自分たちの歴史に誇りを持つための手段である。


首都ルクソールのカルナック神殿も手前の新しい部分はこの時代に建設されている。


それまでの時代、エジプト人はヌビア人を支配していたが、ここでは立場が逆転している。下はカルナックから見つかった紀元前七世紀のイリケタカナという人物の像。彼はヌビア人の王国クシュから派遣されていた役人と思われている↓



ブラック・アフリカン、ですね↑


下はそれ以前の第18王朝期のものでアスワンのエレファンティーネ島から発見された女性頭部↓この時代に特徴的な髪型だが、あきらかにアフリカ人女性↓



25王朝シャバカ王(在位BC706-690)の頭部↓王族もやはりブラック・アフリカン↓



シャバカの弟タハルカ王(在位BC690-644)↓



シャバカ王の息子の一人ホレマカート↓



**このヌビア人の支配するエジプトは百年ほどで終わり、ヌビア人は南へ撤退する。


紀元前十世紀からあったクシュ国の後継として、BC560年ごろから南でメロエ王国が成立し、それは紀元後四世紀まで存続していた。下の像は紀元前二世紀ごろのメロエ王朝の皇子とその母の像↓布を右肩にたらすメロエの装束をまとい、往時は母・クイーンのエジプト風の冠をささえるポーズをとっている。左足を前に出すのもエジプトの表現が受け継がれている。目と眉はかつて象嵌されていたもよう。手にもなにか儀式用の道具をもっていた穴がある↓



***ヌビア地にあった多くの神殿は、アスワンハイダムの建設によってナセル湖の底に沈んでしまった。助けられたアブシンベル神殿の話は有名だが、水没した多くの神殿について語られることはあまりない。


★下の地図、真ん中に通っている青い線がもともとのナイルの流れ。水色が現在のナセル湖。水色の中に水没してしまった遺跡や村の名前がたくさん記されている↓



そこに、「トシュカ」の名前もあった。え?トシュカ。これは二十年ほど前から当時のムバラク大統領が砂漠の中に建設しはじめた人工都市の名前だ。ルーツはこの古代都市にあったのか。下の写真は、トシュカの遺跡墳墓↓



★ニューヨークのメトロポリタン博物館に移築されたデンドゥル神殿の位置も記されている。この神殿はアスワンの南八十キロナイル川西岸にあった。ローマ時代にアウグストゥス帝が建設させたイシスに捧げられた神殿である。それ以前に地元豪族の兄弟の墓だったという話もある。水没前のようすが模型で展示されていた↓


※ニューヨーク、メトロポリタン美術館でどんなふうに展示されているか⇒こちらに載せました



現場の写真もある↓




***クルーズ船へ戻ると、ヌビアのショーをやっていた。太鼓が三つと簡単な弦楽器が一台。出てくる音はとびきり切れのあるアフリカンビートだった⇒


**明日はいよいよアブシンベルへ


 

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アスワン~切りかけのオベリスク、ファルーカ

2016-12-08 18:51:23 | エジプト

街の乗り合いバスとは、こんなすごい乗り方をしても、料金をとる↓

あ、我々に気づいて手を振ってます(^^)あぶないって(^_^;)↓

**切りかけのオベリスク

ルクソールの神殿にそびえていた四角錐の花崗岩の柱は、このアスワンで切り出されていた↓石切り場には放置された「切りかけのオベリスク」も見つかっている↓

これが放棄されたのは、作業しているときにヒビがみつかったと言われている↓

昔はこのオベリスクの上に登る事もできたのだが、今はもう禁止↑

オベリスクの花崗岩を切りだすのに使われた、より固い赤緑斑岩の槌→

こちらは、切り出された跡↓

***一度クルーズ船にもどり 夕方ファルーカに乗った。エンジンでなくナイルの微風で航行するのはとても気持ち良い↓

川岸には建設中の高いマンション?今度来るときには完成しているかしらん↓こののんびりした雰囲気もどんどんかわっていくのだろう↓

夕暮れて、船をおりる↓

**夜、ヌビア博物館へ行こう

 

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