クルーズ船がアスワンへ到着する前、夜が明けるころにデッキへ出てみた。夜明け前の星は不思議な輝き↓
川岸に日本の援助でつくられた、ポンプがいくつも見える↓
こちらも日本の援助でできた橋、しずかにくぐってゆく↓
一度部屋へ戻って、皆が朝食へ行く頃には、船はアスワンに到着し、西岸に懐かしい砂の丘が見えていた↓中腹にある古い貴族の墓に、どうしても行きたくて、六年前の《手造の旅》で、はじめて訪れた記憶がよみがえった↓
・・・アスワンに上陸 ハイダムを訪れてから、イシス神殿へ向かう。ダムの堰堤→ダムからアスワンの街方向↓
イシス神殿は、1903年のアスワンダム建設によっ半ば水没していた。解体され、となりにあった島へ再建築されているので、船で向かわなくてはならない。桟橋にはアフリカからのお土産品がたくさん↓
オイルの匂いが漂うダム湖をしばらくクルーズすると、二千年前の神殿が見えてきた↓
上陸する。よくもまぁこれだけの神殿を解体して別の場所に組み上げたものだ↓
柱の上部にある愛と美のハトホル女神の顔が刻まれた柱↓表情が神殿に近づくほど笑顔になっているなんと、今回のガイドさんに指摘されたはじめて知った↓最初の顔はちょとふきげんそう↓
あ、笑顔です↓
こういう細部のこだわりがおもしろい。
内部には水没していた時代の水面の後がくっきりと残されている↓
一画にホルスの見事な彫。しかし、真ん中に×じるし?↓
後年、キリスト教時代につけられたシンボルと考えられている。この神殿は、ローマ時代AD660年に閉鎖され、三つの別のキリスト教会が内部構造をりようしてつくられていた。
そのうちのひとつの入口が、もとの神殿では裏口にあたるような場所に残されている↓
入口左右に十字架を深く刻み込んでいる↑↓
古代エジプトで生命の鍵とされたアンクを、ちょうど十字架に彫りかえてある場所も多い↓これは、カイロのコプト博物館でもよく見られた事。つまり、キリスト教の十字架のルーツは、古代エジプト信仰からきているのかもしれない。イタリアでは聞けないはなしだ。ローマカトリックは絶対認めないだろう↓
ナポレオンもこの神殿にやってきたとされる。遠征隊が残したというら落書きが刻まれていると説明されたが、どこだかよくわからない。フランス語も英語も、18・19世紀の年号が見られる。ただ、「ナポレオン」と書かれていても、それがほんとうにナポレオンによって刻まれたとは、限らないのだが↓
遺跡のカフェで売られていたカルカデ(ハイビスカス)のお茶↓
再び小船にのってもどる↓