旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

バンベルク~燻製ビールと旧市街

2021-06-22 22:53:52 | ドイツ
2003年ドイツの旅より
世界遺産都市バンベルクで忘れられないのは「ラオホ・ビア(煙・燻製ビール)」

原料の乾燥麦芽=モルトをつくるときにブナの木を焚いた煙にあてることで、出来上がったビールにその煙の香りが生かされる。

老舗ビア酒場で↓クヌーデル(じゃがいもをすりつぶしてつなぎと混ぜて団子にして茹でたもの。日本の年配層では「戦争で食べ物のない時期に食べ続けたすいとんみたい」と好まない人も多いが、小松はもちもち食感が気に入っております(^^))とポークステーキと共に。



レグニッツ川の中に建てられた旧市庁舎↑
司教の強権に反発して何度も反乱を起こしていたバンベルグ市民だったので司教は領地内に市庁舎をつくらせなかった。
財力と自治力があった市民側は、境界線となっている川の中に人工の島をつくってそこに市庁舎を建てたとされている。
十四世紀のこと。

壁一面に立体的な絵が描かれた現在みられる市庁舎は十八世紀半ばに再建されたもの。


++

司教領側の丘の上には十三世紀に建設されたカテドラル=ドーム教会。
高さ八十メートルのロマネスクの塔を持つ。
1007年に新たに司教区を創設し、最初の教会を建設したのは神聖ローマ皇帝ハインリッヒ二世。

彼ら二人が四本の塔を持つバンベルグの大聖堂を捧げたこの絵は↑16世紀以降のものであろう。
実際に彼らが葬られた大聖堂は二度も焼失している。

ハインリッヒ二世は1146年、妃のクニクンデは1200年にローマ法王によって列聖された↑現在みられる二人の墓碑は十六世紀初頭に名工ティルマン・リーメンシュナイダーによって彫られたもので、教会内で何度か移動させられ1971年からこの場所にある。

↑死の床にあるハインリッヒ二世(左端の髭の人物)を看取る↑クニクンデ妃の悲しげな表情。それぞれの人物が無表情なロマネスク時代の影響が残る時代にこれだけの表現ができている。個々の人物の手の表現はさすがリーメンシュナイダー。浅浮彫だが、ベッドの上の布の折れた表現。リーメンシュナイダー作品が大好きな小松には、この作品を見るためにだけでも、もう一度バンベルクを再訪したいです(^^)

↓★「バンベルグの騎士」彫刻は、リーメンシュナイダーより二百年以上古くから教会にある名品↓

リーメンシュナイダーもこの像を見上げていたにちがいない。
**

大聖堂を出るとすぐ横に大司教の宮殿↑

外観とはうらはらに、こちらは十八世紀バロック時代の雰囲気が強い内部だった。

支配者の大司教は、この丘の上の宮殿から市民たちの街を見下ろしていた。




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カルテンベルグの騎士祭

2021-06-21 08:45:15 | ドイツ
2009年ドイツの旅より
世が世ならバイエルン国王だったヴィッテルスバッハ家の現当主プリンツ・ルイトポルド氏58才が主催する騎士祭。

彼が二十代のころに英国で騎士ショーを見て感激してはじめたのだそうだ。

ミュンヘンの西三十キロ。普段は観光客などまったくやってこない小さなカルテンベルグ村には13世紀起源の城がある。その中庭に面してプリンツの運営するビール会社直営のレストラン、ビア・ホールがある。
店の人やスタッフも皆中世風の服装をしていてちょっとタイムスリップ気分である。


その気になればお客も同じような服を借りたり買ったりできるようになっている。
「江戸村」ですね(^^)

開催期間は三週間にわたる。パレードも行われる。


見世物なのかしらん、ラクダも登場

牛も

今日(2009年7月4日)ミュンヘンからここへ来るバスの中で猛烈な雨に降られた。
屋根のないアレーナでどうなるか心配したけれど、夜が近づくにつれて空はどんどん晴れわたっていった。

パレードも面白かったけれど、ここに来たらアレーナでの騎士のショーをみなくちゃ。

↑こちら、開会を宣言するヴィッテルスバッハ家の現プリンツ↑このイベントをはじめたその人。

カラフルな衣装の面々が登場し

フィレンツェなどでもみかける旗を投げ上げるパフォーマンス

それにしても、すごい数の馬が登場する。

車が登場するまで、良い馬を持つことは最高のステータス。その馬を自在に乗りこなすことは騎士の誉れ。

練る時にも立っているという馬を↑こんなふうに座らせたり。


一番印象的なのは一騎打ちのシーン。
アレーナの両端から全速力で駆けてくる騎馬が、すれ違い様に長槍で相手を突くのである。一瞬で勝敗が決まる。

すれ違い様「バシッ」と音がして一方が馬から落ちると、演技とわかっていてもハラハラさせられる。
※上の写真は流鏑馬のように馬上から的を槍で突く競技

揺れる騎乗で長い槍の先を思う場所に突き刺すというのは熟練の技で、しかも、相手よりも早くに当てないと自分がやられてしまう。
練習試合用には先が簡単に砕ける槍が使われるけれど、それでもかぶとに刺さったりする危険は必ずある。
実際フランス国王アンリ二世は騎馬試合の時に目を突かれて死に至っている。

またゆっくり見学に行きたいです(^^)

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スミソニアンのフリーア美術館~ホイッスラーの「ピーコック・ルーム」

2021-06-17 07:23:15 | アメリカ東部
2006年アメリカ東海岸の旅より
1877年に造られた「ピーコック・ルーム(孔雀の間)」がアメリカに移築されている。

ここはリバプールの船舶富豪フレデリック・レイランドのロンドンの邸宅。
集めた東洋磁器を飾る為につくられた。

飾られている「 The Princess from the Land of Porcelain.(磁器の国のお姫様)」の画家ホイッスラーJames McNeil Whistlerが「勝手に」装飾した。もともと別の建築家が手掛けていた部屋だったのだが、ホイッスラーは飾られた自分の絵に合っていないと感じた。
「絵に合ったようにちょっと手を加えてもいいですか?」
とだけ承諾をうけて、部屋まるごとを巨費を投じて別物にしてしまった。

ホイッスラーは自信をもっていたのだろうが、仕上がり途上と請求書を見せられたレイランドは不機嫌になる。
乗りかかった船を下りるわけにいかなかったホイッスラーはレイランドに抗議する寓意をこめて↓

↑上のような「対決する二羽の孔雀」を向かい側の壁に出現させた。
左の頭に角のような羽が突き出している(ホイッスラーは頭髪のてっぺんに白髪があった)のが、ホイッスラー?
右の孔雀は胸に金貨のようなものをたくさんつけたレイランド?
「金払ってくれよ」
「勝手に好き勝手やっといて、そんなに出せん!」
と言い争っていいるみたい(^.^)

ホイッスラーは完成後二度とこの部屋を見ることはなかった。
レイランドはお金は払わなかったが部屋はそのままにしていた。
1892年にレイランドが亡くなる。
1903年にホイッスラーも亡くなる。
二人と親交のあったチャールズ・ラング・フリーアは部屋ごと買い取り、デトロイトの自宅に移築した。

1919年にフリーアが亡くなると、彼の東洋コレクションを公開する博物館をワシントンDCのスミソニアンの一角に建設することとなり、「ピーコック・ルーム」として移築された↑
※小松が訪れてこれらの写真を撮った時はブラインドが閉められていたが、この部屋はもともとダイニングルームで自然光のもとでの部屋も美しい。それをみてもらいたいと思った美術館が月に一度だけブラインドを開いているのだそうだ。こちらYoutubeのビデオでそれを見せてくれています

ホイッスラーが死の前年1902年に画いたフリーアの肖像。この時まだ五十歳前なのですが^^;
**
「ピーコック・ルーム」は日本の影響を受けた西洋人の作品.
この時代の日本美術ブームは↓こんな作品もうみだしている

フリーアの庇護をうけていたトーマス・デューイングの「四つの森の音」
1896年、フリーアがはじめて屏風を手に入れた直後に画かれたと推察される。
アメリカ人流の屏風絵ですね(^.^)

フリーア美術館には多くのホンモノの日本美術作品がある。

最近の研究ではこの木彫は快慶のものではないか?とされている

「ヨコハマ商会を通じて田中伯爵から購入」と履歴にあるが、もともとどこにあったものかは不明。

↑こんな素晴らしい四天王もどこから売りに出されたものか分かっていない
廃仏毀釈で破壊されなかっただけよかったのか…

↑これは大阪堺の江原寺の山門を護っていた仁王像の一体↑等身大以上の大きさがある↑
フリーアはアーネスト・フェノロサとも親交がありったからこそこれだけ質の高い日本美術品を集めることができたのだろう。

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アーリントン記念墓地と朝鮮戦争記念碑

2021-06-15 11:44:49 | アメリカ東部
2006年アメリカ東海岸の旅より
「嫌がらせに、南軍のリー将軍の邸宅敷地に死体を埋葬しはじめたがはじまりです」と解説されて驚いた。今も丘の上にある「アーリントンハウス」が、そのリー将軍の邸宅↓

ロバート・リー将軍は妻が初代大統領ワシントンの孫娘だった縁でこの広大な敷地を手に入れた
奴隷制度には反対だったが南軍の将となったリー将軍は戦地となった首都から避難する。
戦争が終って自宅に戻ってくると周囲が墓場になっていて唖然としただろう。
住むのを断念し国に寄贈されたことにより、戦没者を埋葬する公式な墓地になったのである。

「アーリントンハウス」のふもとにあるこの墓は↑JFK暗殺されたケネディ大統領のもの

妻のジャックリーンが灯した「永遠の火」は、彼女自身の墓との間に位置している。

1961年のケネディの有名な演説「アメリカの同胞たちよ、国がなにをしてくれるのかではなく、あなたが国のためになにができるかを問え。世界の人々よ、アメリカが何をしてくれるのかではなく、人の自由のために共になにができるのかを考えようではないか」

入口のビジターセンターには暗殺を報じる当日の号外↑

司法長官を務めていた弟のロバート・ケネディも暗殺され↑近くの一角に簡素に葬られている↑


同じヴァージニア州側にあるペンタゴン(国防総省)
**

↑1995年に完成した「朝鮮戦争記念碑」があるのは、ポトマック川を渡ったワシントンDC(コロンビア特別区)、リンカーン記念堂の近く↑

十九人の兵士がぬかるみ(田んぼ?)の前線を進む姿↑

磨かれた黒い壁に写って三十八人=三十八度線をあらわしているそうな。

FREEDOM IS NOT FREE
自由はただで手に入らない


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ワシントンDCで~ワシントン、ジェファーソン、リンカーンのメモリアルへ

2021-06-12 10:31:31 | アメリカ東部
2006年アメリカ東海岸の旅より
高さ169mの世界でいちばん高い石の塔「ワシントン・メモリアル」は1884年に建造された。
古代エジプトのオベリスクは高くても30m。これはその五倍以上の高さで青空を突いている。

↑途中で色が変わっているところが46m付近。
資金難と南北戦争で一時建設がストップし、石材が変ったのでこうなったのだそうだ。


その日の朝、NYのペンステーションからアムトラックに乗った。

駅の名前はペンシルヴァニアからきている。

ペンシルヴァニアの州都↑フィラデルフィア方向へ行く駅だから。
古い街の門の名前がそこをでてたどり着く街の名前からとられたのと同じ。
今回の旅でフィラデルフィアを訪れたかったのだが無理に入れると日程が厳しくなるので泣く泣く割愛していた。
2021年になってもフィラデルフィアをいつか(いつ?)ちゃんと見学していと思い続けている。

ユニオン駅に到着。1907年に建造された古典的なデザインの駅舎。

古代ローマの「コンスタンチヌス帝の凱旋門」の影響を受けているのだとか。

少人数なので地下鉄も使って移動。

ナショナル・モール=THE MALLと呼ばれる、若きアメリカの歴史を勇壮に感じさせてくれるモニュメント群のただなかへ。
19世紀半ば、建国百年に満たない時期にこれだけの都市計画で祖国を誇る場所を出現させている。

モデルは古代ローマ。

このリンカーン記念堂に入ると

まるでコンスタンチヌス帝かと思わせるような

リンカーンの巨像が見下ろしている。

足元の人間と比較してもらうとその巨大さがわかるだろう。

記念堂の売店に売られていた本の表紙に暗殺される間近のリンカーンの写真があった。

南北戦争という試練はすごいストレスだったのが感じられる↑

記念堂の前には映画でもよく出てくるあの池

マーティン・ルーサー・キング牧師の「I Have a dream」スピーチのあった場所

**



ポトマック川沿いにある半人工の遊水池で、

足こぎボートに乗りました(^.^)
↑後ろに見える神殿みたいな建物は何?
↑第三代大統領ジェファーソン記念堂だが…
↓この建物にそっくり↓

↑これはローマの「パンテオン」紀元後二世紀のオリジナル建造物。※紀元前一世紀の建造をハドリアヌス帝が新たなデザインで建てなおしたとされる
これをモデルにしているのがひと目でわかる(^.^)※ジェファーソン記念堂公式サイトでは「ヴァージニア大学」と「モンティチェッロ」の影響と書かれているが、この二つがローマのパンテオンの影響をうけているのだ
オベリスクといいリンカーン記念堂といい、ワシントンDCはいたるところで古代ローマを模範している。

足こぎボートを下りてジェファーソン記念堂に入った。

1943年に建設。ローマの建物は教会になっているが、ここは第三代アメリカ合衆国大統領ジェファーソンを讃える場所。

独立宣言の起草が有名

身長高い人だったようです(^.^)

**

最後にアメリカ議会=キャピトル・ヒルへ

このドームは、やはりローマのサン・ピエトロ大聖堂を思い出させるあるいはロンドンのセント・ポール大聖堂
この場所で行われる大統領就任式では、聖書に手を置いて宣誓されるのだ。

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