KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

大和魂に火を付けるのは?

2006-06-19 22:47:56 | スポーツ

 今年はまだ半年経っていないにもかかわらず、国際的スポーツイベントが目白押し。2月はトリノ冬季五輪、3月はWBC、そして今月はサッカーW杯・・・。いい結果の時もあれば、そうでないこともあり、そのたびに日本国中盛り上がる。しかし、ことスポーツに関して、これほどまで国中が盛り上がれるのは一体なぜだろう?よく考えるとちょっと不思議だ。TVも点けず、情報を一度遮断し、ちょっと考えてみた。

 たとえばトリノ五輪。期待された種目(メダルを取れる、と言う意味)は多かったものの、結果的にはほぼ惨敗。多くの人が落胆を隠せなかったはずだ。そこへフィギュアスケートの荒川選手による金メダルが1個もたらされるやいなや、手のひらを返したようにみな喝采を送った。そして翌月のワールドベースボールクラシック(WBC)。国内予選ではコールド試合をするほど強かった日本選抜チームが、本国アメリカでは一転して敗戦続き、一気に崖っぷちに追いつめられる。誰もがもうダメかと諦めたとき、神風が吹いたのだろうか、強豪を次々破り、あれよあれよという間に優勝。ほとんど奇跡に近いような展開に、これまた国中狂喜乱舞・・・。

 しかし正直ぼくは戸惑っている。むろん、同じ民族である日本人が、世界相手に堂々たる活躍をしているのを見れば、「ガンバレ!」と手に汗握って応援するし、その結果強豪を破ったとか、世界一に輝いたとかになれば誰もいないのに両手をあげて喜び、気持ちも否応なく高揚する。しかし、TVでの応援がはたして遠い彼方にいる選手らに届いているのだろうか?と思うことがある。

 スポーツ選手はみな、体力や運動機能とともに、精神(メンタル)面も十分鍛えており、ここ一番にもの凄い集中力で実力を発揮できる、元々それだけの才能は持っているはずだ。本来なら、観客が誰もいなかったとしても、それなりに実力は発揮できると思うのだが、それでも超満員の観客、サポーターの声援を受けて試合に挑む選手たちは、みな応援を自分たちのパワーの源に変えられるだけの強い精神力をもっている、ということになる(逆に言えば、人に見られて緊張したり萎縮してしまうようなひとはスポーツ選手として失格と言わざるを得ない)。その声援の後押しを受けて、選手達は本来の実力を発揮したり、時には実力以上の力を出してしまうことがある。それをみてまた観客は興奮して喜び、さらに熱い声援を送る。それはTV越しの人間にも同じことがいえる。よくキャスターが日本選手を応援するときに「選手達よ、大和魂を見せつけろ!」と叫ぶシーンがあるが、これはひょっとすると、選手の闘志に火を付けるのではなく、TV中継をみているぼくら一般の視聴者の「大和魂」に火を付けているのではないか?という気にさえなる。TV中継なのに、深夜にも関わらず、興奮して観戦し続けられるように・・・。 

 いま、ワールドカップまっただ中で、我が日本は今日現在1敗1分、予選最終試合のブラジルに2点以上の差を付けて勝たないと決勝リーグには進めないという、またしても崖っぷち状態。しかし今年のこれまでの展開から、何か一波乱が起きてもおかしくない、と願うのはぼくだけではないはず・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする