KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

判断はむつかしいが

2008-09-21 00:22:14 | 日記・エッセイ・コラム

 「オマージュ」とか「インスパイア」というのと、「パクリ」「盗作」というものの違いは、いったいなんだろう?と考えてしまうはなし。

 今映画公開で話題の「イキガミ」。ぼくはあまり観ようとは思っていないのですが、先日、この作品のエピソードが、SF作家、星新一氏の作品と酷似しているとして双方揉めた、というニュース記事をみた。「イキガミ」と酷似しているとされた、星新一「生活維持省」は読んだことがある。中学の頃だったが、中学生でもこんな末世的な物語にそうとう衝撃を受けた(星新一氏の公式サイトで拝読できるので興味ある人はご一読を)。

 小説もマンガも音楽も、昔から存在し、今も大量に生産されている限り、いつかどこかで「酷似」する作品が共存するのは、ぼくは当然と思っている。たとえば、ある創作者がひとり想像し、ひらめき、それをなんらかの形に起こし、作品を完成させたとしても、じつはその作品は過去のなんとかという作品とよく似ていた、なんてことは十分ありうると思う。だから一方的に「人の作品を盗んだ」とか「著作権侵害だ」と言うことが、果たして最良の選択なのか、疑問に思ってしまう。それは、訴える側がいくら正当性を主張したとしても。訴えられた作家側が、知らなかった、過去の作品など読んでませんなんて言われれば、議論はそこで袋小路に突き当たってしまう。最悪、裁判沙汰になった場合、創作する人達にとっては、それだけ損失がふえるだけで、結果は何も得られない。もちろん、双方で示談とか話し合いで何らかの決着がつくのならそれに越したことはないわけで。

 しかし今の時代、人の心を探りあうばかりになってしまったのは、いったいなぜだろう?誰が本当のことを言っていて、誰がウソをついているのか。ひょっとしたら自分が周りにウソを流しているのだろうか。先行き不安な世の中だからか、先ほど呈した「示談」と言うことばに「相手の言うことを丸飲みされた」という解釈をぼくはしてしまう。それは振り込め詐欺の影響か?

 途中かなり脱線しましたが、何らかの形で作品を創作するみなさん、どう思いますか?

コメント
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