先日、MSNサイトのコラム「反「婚活」時代」を読んだ。
今のところ婚活どころか、出会いにさえ縁遠い感じのぼくでさえ、この内容は自分自身のイヤな部分にメス入れられた感じになった。コラムに登場するのは婚活にいそしむ女性達ではあるけど、年代も、送ってきた境遇も自分によく似ている。
結婚できないのは、出会いがないからだ。出会いがないのは、自分が積極的でないからだ。
人から、時には親からもそんなことをいわれる。正直、ほっといて欲しいと思うのに。
もう十年近くも前の話だが、みんなでバーベキューしようと友人に誘われ、主催するサークルの会合に行ってきた。しかしそこでなぜか自動車のオイルを売りつけられた。これをみんなで売って資金を集めましょう、という趣旨なのだが、ようするに「マルチ商法」のようなモノだった。それに気づいた途端、騙されたと怒りを感じ、入会が成立する前に、なりふり構わず逃げて来た・・・。その時のトラウマからまだ抜け出せないのかもしれない。○○主催のパーティとかよばれるものには、極力近づきたくないと思っている。なにかウラがあるなと本能的に警戒してしまうからだ。
これは余談で、ここで詳細は書きたくないが、総じて二十代後半のぼくには生活スタイルに対してあまりいい出来事はなく、どちらかといえば酷い目に遭ってきた(それはいずれ明かさなければならないかもしれないけど)。それを今も少しだが引きずっている。
やや強引だが結婚とか、婚活に消極的なのは、当時の経験が尾を引いているせいかもしれない。それら嫌な体験から逃れたいために、自己セラピーのひとつとして始めたのが、いまのサイト「KouChan's Factory」だ。
結婚、そして、はやく子供を・・・っていう期待、もうわかりきっている。特に、弟が先に結婚し、来春にはパパになると言うのだから、親が長男の自分を心配してくれるのはありがたいし、申し訳ないとも思っている。しかし、いまのぼくには、かりに結婚できたとしても、その後の生活がまったく描けない。言い換えれば、いまの生活で十分事足りていて、それ以上を望まなくなったからかもしれない。
最近は「鉄道好きの女性」もふえているから、出会いも多いんじゃないの?と聞かれることがある。事実、鉄道模型のイベントに行ったり参加したりすると、若い女性やときには、アイドルとよばれる女性とも出会う。ある共通の話題で盛り上がりそうな感じはするだろうけど、一緒になろうとか、この人と一生添い遂げよう、と思うひとはいまだあらわれない。
理想を高く持ちすぎているのが原因なのだろうか?じゃあ、理想を下げればいいのか?
もちろん、死ぬまで独り身がいいとは思っていない。でも、ときにたった一人、ひっそり最後を迎えるのもかっこいいのかな・・・悲劇の主人公になる気など、さらさらないですけど。
やっぱり、人生の黄昏時は一人よりふたり、いや、それ以上いた方がいいにきまってる。そこに気付きながら、二の足を踏み、先に進めないまま、婚活女性の狩りのターゲットにされるのを実は待ち続けたりする・・・まぁ、そんな男は軽蔑されるのがオチかもしれないけど。
そういう男性を「草食男子」なんて世間は呼ぶそうだが、この言われ方は気に入らないな。だって、肉も魚も大好きだもの(って違う!?)
今回のコラム、多くの人の期待を裏切る結果になりそうなので、先に謝ります、ごめんなさい。