旅行記再開。前々回やりました、薬師寺訪問のつづきです。
JR郡山駅(もちろん奈良県)から、2つ先の法隆寺駅へ、電車で移動。

法隆寺の駅は、小ぎれいな橋上駅となっていて、たぶん自分が修学旅行で立ち寄った時の面影はない・・・のではと思う。
ここから、法隆寺までは歩いても結構ある(1キロくらい)ようで、たまたま駅前のバス停に停まっていたバスが、法隆寺参道まで行くというので、迷わず乗車。

バスは信号待ちで何度か止まりながらも、約15分で法隆寺参道へ到着。

周りは観光バスだらけ。バス用駐車場には修学旅行生や社員旅行客、海外からのツアー客などさまざま。

落ち着いたころを見計らって、南大門から入場

・・・の前に、手前にあるのが、魚の形をした石。「鯛石」とも呼ばれているそう。

一説には、近くにある川(大和川か?)が氾濫したとしても、この石まで水はやってこない、ということを、聖徳太子が知っていてこの地に建立したのだとか・・・本当かどうかは謎。それを知ってか知らずか、修学旅行生たちがなぜかありがたそうにこの石を踏んで入っていくのが印象的だった。
西院伽藍の入り口である中門(国宝)は、この時は修復中でした。

回廊から伽藍の中へ入ると(中学の修学旅行ではこれができなかった!)、目の前には五重塔が。

奥には大講堂。

そして、ご本尊である釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像を安置する金堂(建物はすべて国宝)。

これらを見んと、修学旅行生も観光客もみな、左側の階段から内部に入る。
続いて、回廊を抜けて、寺の東側へと進む。
右に鏡池、

左に東堂、聖霊院。

このときは、大宝蔵院の内部も見学できた。

ここには有名な百済観音像が安置されており、ここでそれを見ることができ、中学時のやり残しを果たすことができた。
続いて、東大門を抜け、東院伽藍へ。

先ほどの西院伽藍よりは規模の小さい東院伽藍。以前書いたが、ここはかつての聖徳太子の一族の住居(斑鳩宮)の跡地になる。

回廊の奥に突き抜けて見える屋根は、夢殿のもの。

正面の八角形の建物が、夢殿。もとは斑鳩宮の跡地に、高僧行信により建立されたが、いつからか夢殿と呼ばれたようだ。聖徳太子等身の救世観音像が安置されている。
夢殿は、内部を覗き見ることはできたが、救世観音像は残念ながら拝めず(秋の御本尊御開帳は10/22~11/22)。
左手に、絵殿、舎利殿。

東院伽藍の北側には、中宮寺というお寺もあり、そちらへも立ち寄る。法隆寺拝観チケットを持っていると、割引で入ることができる。
中宮寺は、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御願により創建。創建時は現在の場所から500メートルほど東にあり、現在は史跡公園となっている。

こちらが中宮寺の本堂。本尊菩薩半跏(国宝)を安置する。また、聖徳太子の死後、御妃であった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の命により、夫である太子の行かれた天寿国の世界を刺繍にした「天寿国曼荼羅繍帳」(国宝)の複製も見ることができる。本堂は昭和時代の落慶。
法隆寺、中宮寺を見学したところで昼時となり、最初の参道まで戻る。参道にひしめく食堂で目立って見えた「柿の葉寿司」が気になり、


気温もあたたかく、めずらしく冷たいざる蕎麦と一緒に注文した。
これが柿の葉寿司。中はサバ寿司。

もう少し書き進めたいところでしたが、今回はココで時間切れ。続きは次回へ。
JR郡山駅(もちろん奈良県)から、2つ先の法隆寺駅へ、電車で移動。

法隆寺の駅は、小ぎれいな橋上駅となっていて、たぶん自分が修学旅行で立ち寄った時の面影はない・・・のではと思う。
ここから、法隆寺までは歩いても結構ある(1キロくらい)ようで、たまたま駅前のバス停に停まっていたバスが、法隆寺参道まで行くというので、迷わず乗車。

バスは信号待ちで何度か止まりながらも、約15分で法隆寺参道へ到着。

周りは観光バスだらけ。バス用駐車場には修学旅行生や社員旅行客、海外からのツアー客などさまざま。

落ち着いたころを見計らって、南大門から入場

・・・の前に、手前にあるのが、魚の形をした石。「鯛石」とも呼ばれているそう。

一説には、近くにある川(大和川か?)が氾濫したとしても、この石まで水はやってこない、ということを、聖徳太子が知っていてこの地に建立したのだとか・・・本当かどうかは謎。それを知ってか知らずか、修学旅行生たちがなぜかありがたそうにこの石を踏んで入っていくのが印象的だった。
西院伽藍の入り口である中門(国宝)は、この時は修復中でした。

回廊から伽藍の中へ入ると(中学の修学旅行ではこれができなかった!)、目の前には五重塔が。

奥には大講堂。

そして、ご本尊である釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像を安置する金堂(建物はすべて国宝)。

これらを見んと、修学旅行生も観光客もみな、左側の階段から内部に入る。
続いて、回廊を抜けて、寺の東側へと進む。
右に鏡池、

左に東堂、聖霊院。

このときは、大宝蔵院の内部も見学できた。

ここには有名な百済観音像が安置されており、ここでそれを見ることができ、中学時のやり残しを果たすことができた。
続いて、東大門を抜け、東院伽藍へ。

先ほどの西院伽藍よりは規模の小さい東院伽藍。以前書いたが、ここはかつての聖徳太子の一族の住居(斑鳩宮)の跡地になる。

回廊の奥に突き抜けて見える屋根は、夢殿のもの。

正面の八角形の建物が、夢殿。もとは斑鳩宮の跡地に、高僧行信により建立されたが、いつからか夢殿と呼ばれたようだ。聖徳太子等身の救世観音像が安置されている。
夢殿は、内部を覗き見ることはできたが、救世観音像は残念ながら拝めず(秋の御本尊御開帳は10/22~11/22)。
左手に、絵殿、舎利殿。

東院伽藍の北側には、中宮寺というお寺もあり、そちらへも立ち寄る。法隆寺拝観チケットを持っていると、割引で入ることができる。
中宮寺は、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御願により創建。創建時は現在の場所から500メートルほど東にあり、現在は史跡公園となっている。

こちらが中宮寺の本堂。本尊菩薩半跏(国宝)を安置する。また、聖徳太子の死後、御妃であった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の命により、夫である太子の行かれた天寿国の世界を刺繍にした「天寿国曼荼羅繍帳」(国宝)の複製も見ることができる。本堂は昭和時代の落慶。
法隆寺、中宮寺を見学したところで昼時となり、最初の参道まで戻る。参道にひしめく食堂で目立って見えた「柿の葉寿司」が気になり、


気温もあたたかく、めずらしく冷たいざる蕎麦と一緒に注文した。
これが柿の葉寿司。中はサバ寿司。

もう少し書き進めたいところでしたが、今回はココで時間切れ。続きは次回へ。
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