KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

才能はいつまで続くのか

2008-11-04 23:22:11 | ニュース

 朝目が覚めると、信じられないようなニュースに出くわすことが、最近多くなった気がする。きょうもそうだ。TVつけると、いきなり「小室哲哉氏逮捕か」と報じていて、何事かと目を疑ったが、結果本当にそうなってしまった。

 それこそ一昔前、大学時代はどこへ行っても「小室サウンド」を聴くことができた。globe、trf、H-jungle withTとか・・・似たサウンドばっかりで少々飽きてもいたのだが。でも今もたまにカラオケで渡辺美里の「MyRevolution」歌うこともあるんだよな・・・。

 それから10年経って、まさか借金まみれの生活、そしてきょうの詐欺容疑での逮捕なんて、想像つかなかったに違いない。しかし一時代を築いたあとの数年は、事業拡大の一方でヒット作が出ず、それを追うかのように事業も悪化していく。離婚慰謝料や借金返済に追われ、揚げ句の果てに、自分の楽曲全部の著作権を投資の対象にしようとしてしまう。しかしそれも結局ウソだったわけで。

 本人も罪を認め、十分反省しているようだけど、彼にとって悲劇なのは、やはり「ヒットする音楽が作れなくなった」ことだろうとぼくは思う。

 音楽を作るだけなら誰でも出来そうだが、それを「商品」としてヒットさせ、成功させるには、やはり「才能」は欠かせない。それは音楽だけではない。いかにヒットさせるかというプロデューサーとしての才能や、商売として成り立たせるためのビジネスの才能など。

 そしてもう一つ必要なのは、「時代の空気」をつかむことと思う。飛ぶ鳥を落とすような勢い、ブームと呼ばれるものは、いつまでも続くとは思えない。時代を超えてヒット曲を産み続ける音楽家やアーティストと呼ばれる人達は、時代時代に合わせて、あるいは先取りして、どんどん変化していく。この点に関して、小室氏のサウンドは昔の「TMネットワーク」サウンドのインパクトがあまりに強すぎて、変化しにくかったのかもしれない。結果、時代にあった曲が生み出せなくなったことが、最大の原因なのかと、ぼくは勝手に考える。

 ここで思う。ぼくはいつまでものを作り続けることができるだろうか?

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弟の結婚

2008-11-03 19:50:49 | 日記・エッセイ・コラム

 その話を聞かされたのは、1年ほど前のこと。実家に帰省したときに母親から「あんた一人暮らしだからこれ持っていきな」と、お米を渡されたとき。どこの米なのかときくと「○○(弟の名)の彼女の実家から送ってきたのよ」。

 それから半年経って、招待状が届いた。

 ここから、先週末の弟の結婚式のエピソードに話をすすめる前に、先に一つ書いておくことがある。このようなエピソードの場合、よく「年上の兄、姉をさしおいて幸せになった」とか、「弟、妹に先に結婚されて悔しいと思わないのか」とか、どちらかといえば嫉妬に近いような感情を抱くことはないか、ということだ。

 正直言うと、このような感情はまったく持たなかった、といえばじつはウソだ。ましてここ1~2年ほどの間に、仕事仲間や同僚や後輩が続々幸せになり、自分一人が取り残されていく寂しさを感じないことはない。しかし今の自分には、まずパートナーがいないことと、もしそのような状況に立てたとしても、そのときの夫婦像、あるいは家族像というものがまったく描けない。ただただその場で地団駄ふみ、焦りを募らせるばかりでいたずらに時だけが過ぎていく。その思いばかりが先行して、結局のところ何もできていないのだ。

 そういう感情を一方で持ちつつも、人の幸福、とりわけ今回は家族が新たに増えるわけだから、これを喜ばないわけはない。これは本心だ。

 では、先週末の結婚式の話でも・・・。

 場所は軽井沢にある山小屋風のホテルで、チャペルも併設された、非常に静かな場所だった。移動には、まず前前日に実家に帰省し、翌日は有給をもらっているので、参列する両親・従妹の4人で長野へ移動。ちなみに新郎(弟)側の親族はこの4名だけだ。一方で新婦(義妹)側は親戚一同+愛犬という、ほぼ全員集合の感じだった。

 いわゆる教会方式で、神父さんの前で新郎新婦が永遠の愛を誓い合う、という結婚式なので、もちろん賛美歌も歌う。身内の結婚式は初めてという両親は、息子の一世一代の晴れ姿に少々うるっときていたらしいが、賛美歌を歌うことや、神父さんの「アーメン」に参列者が後をつづけることには少々戸惑ったらしい。

 直後の披露宴は、過去何度か友人の結婚披露宴に参列したときのようなおきまりの祝辞あり、電報あり、仮装パーティのような余興あり・・・この辺のについても、両親は楽しんだというよりビックリした、とあとで語っていた。

 盛況の披露宴も終わりに近づき、両家両親への花束贈呈の後、いよいよぼくの父がお礼を述べる場面がきた。大丈夫かね、前日からさんざん練習していた様子だったけど・・・。

 で、いざ始まると、原稿もなしに淡々と語っている。しかも一言一言、かみしめるように、はっきりとしている。普段とはまるっきり違う父(父よ、許せ!)に半分感動していたのだが、新婦さんの話をすべきところで「・・・・・」急に止まってしまった。会場にわずかながら空白ができる。隣の母も何が起きたかわからない。後で聞くと「皆が自分の話を真剣に聞いていると思った瞬間、頭が真っ白になり、言葉が出なくなった」そうだ。慌てて懐に入れていた原稿とメガネを取りだす。張りつめていた会場の雰囲気が一気に崩れ、和やかなムードに一変した。おそらくこの挨拶がいい方向へ働いたのだろう。その後の新郎の挨拶も、今までみてきた、堅苦しい言葉はまったくなく、「みなさん長生きしましょう!」で締めた。これも聞くところによると、本来言いたかった「二人力を合わせて頑張ります」という言葉を、先に父に釘さされたらしく、咄嗟に言葉を変えたらしい。

 今までとは少し違った立場で結婚披露宴に参列したが、これほど印象に残るものはなかったと思っている。弟夫婦は式の翌日に婚姻届を提出し、このブログを書いている今は、モルジブへハネムーンという。おもいっきり楽しんで来いよ!

 かなりの長文になったが、今回は印象に残ったことがあまりに多く、書ききれなかったことがまだまだあるのだが、それは今は内に秘めておくことにする。

最後に、式が終わった直後に、両親からこういわれた。

「お前がもし結婚式挙げることになったら、もっと静かに、それこそ海外かどこかでやってくれ」

・・・考えておくことにするよ。

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