米国の新しい大統領が決まった。離れたところから見ている所為もあるのだろうが、奇妙な選挙戦だった。米国の大統領というのは共和党の推す候補と民主党の候補から選ばれることになっている。今回の選挙では民主党候補の選出ばかりが注目され、肝心の大統領選挙自体は、まるで出来レースのような印象を受けた。今回の選挙だけではない。前回の選挙では、逆に民主党候補の影が薄かった。現職のブッシュ大統領の支持率が高く、そもそも民主党側が不利だったので、本命となるべき候補を温存したという事情もあったかもしれない。穿った見方であるのは承知なのだが、米国のエスタブリッシュメントは自国が経済的にも政治的にも手の付けようが無いほど危機的な状況に陥っているのを承知しているので、大統領というポストを互いに押し付け合っているのではないかとさえ思えるのである。
現在の金融危機にしても、きっかけとなったサブプライム問題が表面化したのは現政権の終盤である。もちろん経済には周期というものもあるし、市場は有機体であるかのような動きをすることもあるので、意図的に操作できる余地というのは限られている。それにしても現政権にとっては問題の表面化は絶妙なタイミングだった、と思う。
今回の金融危機を見てもわかるように、経済の根幹は信用である。不動産価格は必ず上がるという幻想があり、その不動産を購入したいという人に金を貸せば、その人の所得が心もとなくても貸した金はそこそこの金利を伴って返ってくるはずだ、という合意のことを「信用」と呼ぶ。ただの紙切れであっても、日本銀行が1万円だというから1万円ということにしておく、という合意も信用だ。さらにその背後には日本銀行は国家の機関だという「権威」がある。この権威も信用のうちである。「あの人は信用できるから、安心して仕事を任せることができる」とか「うちの亭主は信用できないから小遣いは月5千円」というような一般的用法での「信用」とは微妙に意味が異なることを断っておく。
危機の中身は信用の失墜なのである。だから危機の克服には信用を回復させなければならない。各国の政府が財政出動によって破綻に瀕した金融機関に資金を供給したり、中央銀行が金利を引き下げて、金融市場に資金が潤沢に供給されるように誘導するのは、「ほぅれ、銭ならあんどぉ、心配すんなぁ」というメッセージを送って信用を支えるためなのである。信用が人々の合意である以上、心理的な要素も無視できない。この心理に大きな影響を与えるのが政治である。政治には高度な技術が必要だ。だからそこ、選ばれた者しか政治家になれないのである。
「朝三暮四」という言葉は政治の技術の一端を語っていると思う。猿使いが猿に「朝三つ夕方に四つのトチの実をやる」と言ったら猿たちが怒ったので、「それでは朝四つ夕方三つでどうだ」と言ったら猿は喜んだというのである。同じリソースでも使い方によって効果は全く違ったものになる。政治とはそうした技術によって目の前にあるものを最大限に膨らませて見せることだ。「バブル」という言葉は印象があまり良くないが、しかしバブルを作り、それを弾けさせずに保ち続けるのが政治なのである。最大多数の最大幸福というのは、結局のところはそういうことだろう。
かつてのような圧倒的な存在感は無くなり、少しばかり図体の大きな普通の国に成り下がった米国だが、金融市場においては世界の要であることにかわりはない。その国の元首が現状の危機を前にどのような舵取りをするのか、それによって世界の信用は従前以上に強固なものになるかもしれないし、再起不能なほどに徹底的に失墜するかもしれない。この時期に政権を担うというのは、最悪の状況かもしれないし、千載一遇の時かもしれない。結局はその「人」次第である。
現在の金融危機にしても、きっかけとなったサブプライム問題が表面化したのは現政権の終盤である。もちろん経済には周期というものもあるし、市場は有機体であるかのような動きをすることもあるので、意図的に操作できる余地というのは限られている。それにしても現政権にとっては問題の表面化は絶妙なタイミングだった、と思う。
今回の金融危機を見てもわかるように、経済の根幹は信用である。不動産価格は必ず上がるという幻想があり、その不動産を購入したいという人に金を貸せば、その人の所得が心もとなくても貸した金はそこそこの金利を伴って返ってくるはずだ、という合意のことを「信用」と呼ぶ。ただの紙切れであっても、日本銀行が1万円だというから1万円ということにしておく、という合意も信用だ。さらにその背後には日本銀行は国家の機関だという「権威」がある。この権威も信用のうちである。「あの人は信用できるから、安心して仕事を任せることができる」とか「うちの亭主は信用できないから小遣いは月5千円」というような一般的用法での「信用」とは微妙に意味が異なることを断っておく。
危機の中身は信用の失墜なのである。だから危機の克服には信用を回復させなければならない。各国の政府が財政出動によって破綻に瀕した金融機関に資金を供給したり、中央銀行が金利を引き下げて、金融市場に資金が潤沢に供給されるように誘導するのは、「ほぅれ、銭ならあんどぉ、心配すんなぁ」というメッセージを送って信用を支えるためなのである。信用が人々の合意である以上、心理的な要素も無視できない。この心理に大きな影響を与えるのが政治である。政治には高度な技術が必要だ。だからそこ、選ばれた者しか政治家になれないのである。
「朝三暮四」という言葉は政治の技術の一端を語っていると思う。猿使いが猿に「朝三つ夕方に四つのトチの実をやる」と言ったら猿たちが怒ったので、「それでは朝四つ夕方三つでどうだ」と言ったら猿は喜んだというのである。同じリソースでも使い方によって効果は全く違ったものになる。政治とはそうした技術によって目の前にあるものを最大限に膨らませて見せることだ。「バブル」という言葉は印象があまり良くないが、しかしバブルを作り、それを弾けさせずに保ち続けるのが政治なのである。最大多数の最大幸福というのは、結局のところはそういうことだろう。
かつてのような圧倒的な存在感は無くなり、少しばかり図体の大きな普通の国に成り下がった米国だが、金融市場においては世界の要であることにかわりはない。その国の元首が現状の危機を前にどのような舵取りをするのか、それによって世界の信用は従前以上に強固なものになるかもしれないし、再起不能なほどに徹底的に失墜するかもしれない。この時期に政権を担うというのは、最悪の状況かもしれないし、千載一遇の時かもしれない。結局はその「人」次第である。