BOEが政策金利(Key benchmark lending rate)を150ベーシス引き下げ史上最低水準の3%とした。金利操作としては異例の大幅である。政策発動というのは、政策当局の意思表示の方法のひとつだ。異例の幅の利下げというのは、現状認識の厳しさを物語っているのだろうが、意思表示だけで実効が無いなら意味は無い。株式市場も為替市場も殆ど反応していないという事実を政策当局はどう判断しているのだろうか。
世の中のありとあらゆる物を貨幣価値で換算して市場で取引するというのが我々の生活の基本論理である。人々に欲があり、自分の所有物、所有者たる自分自身の価値を高めるという意志がある限り市場は膨張を続ける。20世紀の前半のわずか30年ほどの間に2度の世界大戦があり、世界は文字通り廃塵のなかからの再生を図ることになる。市場が成長する過程で、特定の有力国が世界に対して影響力を行使できるうちは、政治的意志による経済の操作はある程度可能であっただろう。しかし、市場が膨張を続ける一方、国家間のパワーバランスが変化をするなかで、そうした特定国家の政策の神通力は低下するのが自然というものだ。為替市場への中央銀行の介入が効果を発揮できなくなったのも、当初G5と呼ばれていた主要国首脳の集まりがG7になりG8になりG10になりというように規模が拡大し、それに比例するように実効性が希薄化するのも、同じことの別表現にすぎない。
政策当局の市場に対する介入能力というのは、実態としては殆ど無きに等しいのではないだろうか。政府の存在意義は、あくまで信用の付与である。下手に動いて無能力という実態を晒してしまっては、信用を失うことにもなりかねない。現況の危機の深さが深刻だから、それを利下げ幅で表現して見せるというのは数十年前なら有効であったかもしれないが、今の時代に通用するとでも考えたのだろうか? ここはひとまず75ベーシスくらいの通常よりやや大きめの利下げ幅にしておいて、流動性の確保や危機克服に向けた対応策に関して政府と連携しつつ、金融・財政・規制その他あらゆる面からの総合的な対策を図るというのが政策当局としてのまっとうなありかたではないのだろうか。BOE総裁が公の場で、現況が1929年の世界恐々よりも深刻な状況だなどと自分が経験していないことを引き合いに出して無責任な発言をしてみたり、今回の異例の幅の利下げといい、この国は狂っているとしか思えない。
世の中のありとあらゆる物を貨幣価値で換算して市場で取引するというのが我々の生活の基本論理である。人々に欲があり、自分の所有物、所有者たる自分自身の価値を高めるという意志がある限り市場は膨張を続ける。20世紀の前半のわずか30年ほどの間に2度の世界大戦があり、世界は文字通り廃塵のなかからの再生を図ることになる。市場が成長する過程で、特定の有力国が世界に対して影響力を行使できるうちは、政治的意志による経済の操作はある程度可能であっただろう。しかし、市場が膨張を続ける一方、国家間のパワーバランスが変化をするなかで、そうした特定国家の政策の神通力は低下するのが自然というものだ。為替市場への中央銀行の介入が効果を発揮できなくなったのも、当初G5と呼ばれていた主要国首脳の集まりがG7になりG8になりG10になりというように規模が拡大し、それに比例するように実効性が希薄化するのも、同じことの別表現にすぎない。
政策当局の市場に対する介入能力というのは、実態としては殆ど無きに等しいのではないだろうか。政府の存在意義は、あくまで信用の付与である。下手に動いて無能力という実態を晒してしまっては、信用を失うことにもなりかねない。現況の危機の深さが深刻だから、それを利下げ幅で表現して見せるというのは数十年前なら有効であったかもしれないが、今の時代に通用するとでも考えたのだろうか? ここはひとまず75ベーシスくらいの通常よりやや大きめの利下げ幅にしておいて、流動性の確保や危機克服に向けた対応策に関して政府と連携しつつ、金融・財政・規制その他あらゆる面からの総合的な対策を図るというのが政策当局としてのまっとうなありかたではないのだろうか。BOE総裁が公の場で、現況が1929年の世界恐々よりも深刻な状況だなどと自分が経験していないことを引き合いに出して無責任な発言をしてみたり、今回の異例の幅の利下げといい、この国は狂っているとしか思えない。