寅さんの映画はけっこうたくさん観ていたつもりだったが、そこに出演していたことに気付かなかった俳優がいた。「武士の一分」ではさすがに映っている時間も台詞も多かったので印象に残っていた。「パッチギ!」や「おくりびと」でも重要な役を演じていた。今日公開の「ハッピーフライト」のトレイラーをネットで観ていたら、「おっ、いる!」と嬉しくなってしまった。
この人のインタビューをいくつか読んだことがあり、そのなかで「どんな人にもかっこいい瞬間があり、それを演じてみせたい」というような意味のことを言っていたのが印象に残った。演技や俳優という職業を何も知らないので、あくまで一観客の立場で申し上げれば、所謂「名優」というタイプではないように思う。風景に溶け込んでいる存在であり、当然それも俳優が演じているのだが、そうとは気付かせない技量を感じさせる人なのだと思う。それは映画という作品を作る上でとても大切なことだろう。風景にリアリティがなければ、作品に質感が伴わないし、そもそも作品として成立しない。
映画の風景として登場する市井の人々が、どこかぎこちなかったり頼りなげだったり、あるいは無愛想であったり妙に杓子定規であったりして、しかもそこに「ああいうひと、いるんだよねぇ」と思わせるような現実味があればあるほど、観ている人の多くの脳裏には残らないだろう。その残らない存在を演じるというのは、思いの外難しいことだと思う。そういうところにこだわり続ける職人のような仕事ぶりに、私は憧れを感じる。
この人のインタビューをいくつか読んだことがあり、そのなかで「どんな人にもかっこいい瞬間があり、それを演じてみせたい」というような意味のことを言っていたのが印象に残った。演技や俳優という職業を何も知らないので、あくまで一観客の立場で申し上げれば、所謂「名優」というタイプではないように思う。風景に溶け込んでいる存在であり、当然それも俳優が演じているのだが、そうとは気付かせない技量を感じさせる人なのだと思う。それは映画という作品を作る上でとても大切なことだろう。風景にリアリティがなければ、作品に質感が伴わないし、そもそも作品として成立しない。
映画の風景として登場する市井の人々が、どこかぎこちなかったり頼りなげだったり、あるいは無愛想であったり妙に杓子定規であったりして、しかもそこに「ああいうひと、いるんだよねぇ」と思わせるような現実味があればあるほど、観ている人の多くの脳裏には残らないだろう。その残らない存在を演じるというのは、思いの外難しいことだと思う。そういうところにこだわり続ける職人のような仕事ぶりに、私は憧れを感じる。