既にお気づきの読者もおられるかもしれないが、2008年8月21日「いい話」に、そのブログの引用元の菅野さんからコメントを頂いた。昔、「オーロラの彼方に(原題:Frequency)」という映画があったが、そこに描かれているような興奮を覚えた。ありえない人と出会った喜びとでも表現したらよいのだろうか。もちろん相手は現在活躍中なので、映画の内容とは全然違う。ただ映画のなかで主人公のジョンが感じたであろう幸福感を覚えたのである。
ブログを書くようになったのは2004年頃からである。それ以前に2000年頃にフリーソフトを利用して自分のウエッブサイトを作った。しかし出来上がってみると欲が出るもので、その見栄えの悪さをなんとかしようと「ホームページビルダー」というソフトを購入した。それでも、いまひとつで、どうしたものかと思っていた頃に、世間でブログというものが広がり始めたのである。ウエッブサイトそのものに対する興味というより、インターネットを利用して個人的に世の中とつながるということに興味があったので、gooのIDを取得して、その時々に思ったことや感じたことを書き始めた。単に書くことが好きなのである。
この熊本熊を始めたのはいつことだっただろう? アーカイブには1985年2月から入っているが、もちろんこれはその当時に書いたものを後から入力したものだ。熊本熊を始めたのとほぼ同時期に別名で写真入りのブログサイトを立ち上げたが、それが2006年3月17日だ。アーカイブにあるこの頃以前のブログは、それ以前に書いていたブログサイトから引っ越してきたものである。
なにはともあれ、実生活でいろいろのことがあり、2008年4月14日からは毎日書いている。これは、書くことが好きということの他に、自分の考えたことや感じたことを閲覧できるようにすることで、自分の人となりの一端を紹介している。だから多少は飾っているところもある。そうした飾りも含めて自分なのである。これを読んで、熊本熊はこういう奴、というイメージを持って頂いたほうが、付き合う時にあれこれ詮索する手間が省けて便利なのではないか。
あとは自分自身のために書いている。文章というのは、書くことによってしか上達しないということを多くの作家が異口同音に語っている。自分が作家になるつもりはないが、書くことに関係した仕事がしてみたいと常々思っている。今の仕事は他人が書いたものの校正なので、書くことに関係していないわけでもない。しかし、もっと自分が何事かを創造する立場で、書くことに関わりたいと思っているのである。
今回のような、思わぬ出会いがあると、やはり何事も継続しないといけないと励みになる。と同時に、自分にserendipityがあるのかどうか試されているようにも思われる。
ブログを書くようになったのは2004年頃からである。それ以前に2000年頃にフリーソフトを利用して自分のウエッブサイトを作った。しかし出来上がってみると欲が出るもので、その見栄えの悪さをなんとかしようと「ホームページビルダー」というソフトを購入した。それでも、いまひとつで、どうしたものかと思っていた頃に、世間でブログというものが広がり始めたのである。ウエッブサイトそのものに対する興味というより、インターネットを利用して個人的に世の中とつながるということに興味があったので、gooのIDを取得して、その時々に思ったことや感じたことを書き始めた。単に書くことが好きなのである。
この熊本熊を始めたのはいつことだっただろう? アーカイブには1985年2月から入っているが、もちろんこれはその当時に書いたものを後から入力したものだ。熊本熊を始めたのとほぼ同時期に別名で写真入りのブログサイトを立ち上げたが、それが2006年3月17日だ。アーカイブにあるこの頃以前のブログは、それ以前に書いていたブログサイトから引っ越してきたものである。
なにはともあれ、実生活でいろいろのことがあり、2008年4月14日からは毎日書いている。これは、書くことが好きということの他に、自分の考えたことや感じたことを閲覧できるようにすることで、自分の人となりの一端を紹介している。だから多少は飾っているところもある。そうした飾りも含めて自分なのである。これを読んで、熊本熊はこういう奴、というイメージを持って頂いたほうが、付き合う時にあれこれ詮索する手間が省けて便利なのではないか。
あとは自分自身のために書いている。文章というのは、書くことによってしか上達しないということを多くの作家が異口同音に語っている。自分が作家になるつもりはないが、書くことに関係した仕事がしてみたいと常々思っている。今の仕事は他人が書いたものの校正なので、書くことに関係していないわけでもない。しかし、もっと自分が何事かを創造する立場で、書くことに関わりたいと思っているのである。
今回のような、思わぬ出会いがあると、やはり何事も継続しないといけないと励みになる。と同時に、自分にserendipityがあるのかどうか試されているようにも思われる。