熊本熊的日常

日常生活についての雑記

漫遊

2008年11月22日 | Weblog
年末が近づき、職場では休暇の連絡が飛び交い始めている。休暇というのは雇用されていなければ取得することができない。年末まで雇用主が存在しているかどうか危うい状況なのに、休暇をいつにしようかなどと考える剛胆さは、宮仕えには必要な素質かもしれない。私の年齢になると、乗っている船が沈没するときは、一緒に沈む以外に選択肢が無いのだが、若い人は近くを航行する別の船に乗り移るなり、溜め込んだ材料を使って自分で筏を組むなり、いろいろやらなければならないことがあるだろう。尤も、そんなことは私が心配することでもないのだが。

これまでに何度も転職をした。勤務先が外資系企業に買収されることになり、自分の居場所がなくなりそうになったので、そうなる前に自らそれまでの職場を離れたこともあれば、勤務先のリストラで自分の所属部門が丸ごと無くなってしまい、わずかばかりの手切れ金をもらって放り出されたこともある。いずれの場合も、まだ30代だったので、なんとか短期間で移籍先を見つけることができた。しかし、今回はさすがに無理であろうと覚悟はしている。企業の採用において年齢の壁があるのは事実である。現に自分が採用を担当していたときも、応募者を年齢で区切って機械的に分類していた。年寄は使いづらいのである。

勤務先の経営危機というのは想定していなかったが、雇用してくれる先がなくなることは遅かれ早かれ必ず来ると思っていたので、数年前から対策をいろいろ考えていた。それが、建設途上で放置された建物のような状態になって今日に至っている。これをなんとかしたいと考えたのも、帰国を決めた理由のひとつである。

帰国することに決めた後は、残された時間を極力自分のために使うことを心がけてきた。日本に残してある債務の返済もあれば、子供のためにある程度の貯えもしておかなければならない。そうした制約のなかで、今自分が何をするべきかを考えた結論は、漫遊することだった。漫遊といったって、そこらをうろうろするだけのことである。ささやかなものだ。

人間関係も債権債務関係も日本にある。「住めば都」とは言うけれど、このままロンドンで生活をしたいとは全然思わない。となると、ここでできることなど何も無い。それなら自分の好きなことをするのが一番良いだろうと考えた。「好きこそ物の上手なれ」という言葉もある。自分が楽しいと思うことなら、自分のなかに消化されて残るものだろう。その残ったものが役に立つか立たないかは二の次である。既に人生の最終コーナーかもしれないし、それは既に過ぎているかもしれない。それなら生きて行く上での基本は、自分が楽しむことだろう。その上で、生活を組み立てるのが老年の生き方だと思うのである。

ロンドンで暮らしたこの1年はそれなりに充実していた。パリへ遊びに行ったのも良い経験だったし、ロンドン以外の英国の町をいくつか訪れることができたのもよかった。絵画に対する見方がこの1年ですっかり変わったのは自分でも驚きだ。ひとり暮らしをしてみて、生活に必要な物というのは殆ど無いということが確認できたのも大きな収穫だ。夏に比べると天気が良くないので、出歩く先も当日の天候次第というところはあるのだが、残り1ヶ月も無理の無い漫遊をしてみたい。