熊本熊的日常

日常生活についての雑記

遠回り

2008年11月19日 | Weblog
仕事帰り、職場の最寄駅のホームで、自分の帰路方向へ向かう人がいつもより混んでいるような気がしたので、反対方向の電車に乗って、National Galleryに寄ってきた。

以前にも書いたように水曜日はNational Galleryの夜間開館日である。これまでに何度か夜間に訪れた時は、毎回どこかしらの展示室が定時で閉鎖されていて、ひどい時は昼間の半分程度しか開放されていないこともあった。それが、今夜は全館開館していたのである。

National Galleryのことはこれまでに少なくとも3回はこのブログに書いている(2008年6月12日「ナイト・ミュージアム」、8月10日「ナショナル・ギャラリーを最短時間で見学する法」、10月16日「肖像画が語る」)。絵画に限ったことではないのだろうが、触れる度に自分と対象との距離感が違うように感じられるものである。ある時は引き寄せられたものが、別の時にはそれほどでもなかったり、その逆もある。小さな美術館で静かに作品を眺めるのは、とても贅沢な時間に感じられるものだが、大きな美術館でたくさんの作品に圧倒されるのも、それはそれで得難い時間である。ロンドンやパリでは、そのどちらの時間も思い存分楽しむことができる。東京の美術館は、どこも企画のアイデアが秀逸だが、規模の制約は免れない。

今日はとりあえずカラヴァッジオの作品を観ることができればよいと思っていたが、全館開放されていたので、Sainsbury Wingを見て帰ることにした。ここには主として15-16世紀のイタリア絵画が展示されているのだが、どの作品にも尋常ならざるオーラのようなものが感じられる。当時の画材も技巧も、現在とは比較にならないくらい原始的なものであったと思う。その制約のなかで、顧客の要望に精一杯応えるべく、画家や工房の職人たちが工夫に工夫を重ねた情熱のようなものが、ひとつひとつの線やひと塗りひと塗りの色にこめられているように見える。構図にしても、ちょっとしたバランスの変化で印象が変わるものである。その微妙な加減が、しっかりと追求されているように感じられるのである。これらの点でピエロ・デラ・フランチェスカのThe Baptism of Christとかヤン・ファン・エイクのアルノルフィニ夫妻は突出して素晴らしいと思う。

結局、観始めたら止められなくなってしまい、ひと回りしてしまった。ついでに夕食は館内のカフェで済ませた。野菜とチーズのパイ、ネギのタルト、それと紅茶を頂いた。