ロンドンで最大の美術館はNational Galleryだが、最小の美術館はSir John Soane’s Museumなのだそうだ。これは地下鉄Holborn駅の近くにある住宅街の一画にある。美術館の名前が示すようにSir John Soaneという人の私邸が公に寄贈されて、そのまま美術館として公開されている。入場無料だが、展示品や建物の保護のため、入場者数が制限されており、館内の人数を監視しながら、順番を待って入場する。このため、週末ともなると美術館の前には入場待ちの人の列ができる。尤も、比較的回転は早いので、余程のことが無い限り、列はせいぜい10名程度だ。
並んで順番を待ち、中へ入ると、入場制限の理由がすぐに了解できる。鞄類は基本的に受付に預けなければならない。私邸時代とそれほど変わらない様子にしてあるのだろう。通路は狭く、部屋の家具も残されており、少し油断をすると展示品に触れてしまいそうだ。「美術館」と書いたし、そう紹介されることが多いようだが、絵画よりもローマ時代の遺跡から採取したようなものの飾り方が面白い。絵画はホーガスの作品が多いが、一見の価値があるというようなタイプのものはない。この元私邸をひとつのまとまりとして鑑賞することに面白さがあるように思う。
Holbornから地下鉄Central LineでBond Street駅に移動し、そこから10分ほど歩いたところにWallace CollectionというWallace家の私邸だった美術館がある。こちらは私邸と言ってもかなり大規模なものだ。5世代に亘るコレクションなので、その量も個人という範疇を超えている。有名なのはフラゴナールの「The Swing」やティツィアーノの「Perseus and Andromeda」だが、フランソワ・ブーシェ、レンブラントやその工房の作品、ロイスダール、ルーベンス、ベラスケス、ゲインズバラなどの作品も豊富である。ルーベンスの風景画というのはあまり目にする機会がないかもしれない。ほかに陶器類や甲冑類のコレクションも多数展示されている。
興味深いのは、陶磁器の展示パネルに絵師の名前が書いてあるものが多いのだが、陶工の名前が書いてあるものはひとつもないことだ。陶芸が美術として西洋で認知されるようになったのは、それほど古いことではなく、長らく工業製品あるいは工芸品(美術的要素はあるものの、あくまで実用品)としての位置づけしかなかったことの端的な証左でもあると思う。尤も、陶芸家というものが歴史の比較的早い段階から登場していた日本のようなケースのほうが、世界的にはむしろ珍しいということらしい。おそらく、それは「美術」とか「芸術」というものの意味するところが、「art」とはぴったり重なるものではないということなのだろう。しかし、今では勿論、陶芸も美術として世界的に認知されている、と思う。
個人の住宅であったものが博物館や美術館として一般公開されているというのは、日本でも珍しいことではないが、その規模を考えると、ロンドン最小とされるSir John Soane’s Museumですら、東京にある平均的な企業美術館とたいして変わらないか、若干広いくらいだろう。所謂「階級社会」というものが意味する実体の一端が、こうした住宅のありように現れているのだろう。展示されている内容も勿論興味深いものばかりなのだが、展示のありようそのものも文化というものを饒舌に語っている。
並んで順番を待ち、中へ入ると、入場制限の理由がすぐに了解できる。鞄類は基本的に受付に預けなければならない。私邸時代とそれほど変わらない様子にしてあるのだろう。通路は狭く、部屋の家具も残されており、少し油断をすると展示品に触れてしまいそうだ。「美術館」と書いたし、そう紹介されることが多いようだが、絵画よりもローマ時代の遺跡から採取したようなものの飾り方が面白い。絵画はホーガスの作品が多いが、一見の価値があるというようなタイプのものはない。この元私邸をひとつのまとまりとして鑑賞することに面白さがあるように思う。
Holbornから地下鉄Central LineでBond Street駅に移動し、そこから10分ほど歩いたところにWallace CollectionというWallace家の私邸だった美術館がある。こちらは私邸と言ってもかなり大規模なものだ。5世代に亘るコレクションなので、その量も個人という範疇を超えている。有名なのはフラゴナールの「The Swing」やティツィアーノの「Perseus and Andromeda」だが、フランソワ・ブーシェ、レンブラントやその工房の作品、ロイスダール、ルーベンス、ベラスケス、ゲインズバラなどの作品も豊富である。ルーベンスの風景画というのはあまり目にする機会がないかもしれない。ほかに陶器類や甲冑類のコレクションも多数展示されている。
興味深いのは、陶磁器の展示パネルに絵師の名前が書いてあるものが多いのだが、陶工の名前が書いてあるものはひとつもないことだ。陶芸が美術として西洋で認知されるようになったのは、それほど古いことではなく、長らく工業製品あるいは工芸品(美術的要素はあるものの、あくまで実用品)としての位置づけしかなかったことの端的な証左でもあると思う。尤も、陶芸家というものが歴史の比較的早い段階から登場していた日本のようなケースのほうが、世界的にはむしろ珍しいということらしい。おそらく、それは「美術」とか「芸術」というものの意味するところが、「art」とはぴったり重なるものではないということなのだろう。しかし、今では勿論、陶芸も美術として世界的に認知されている、と思う。
個人の住宅であったものが博物館や美術館として一般公開されているというのは、日本でも珍しいことではないが、その規模を考えると、ロンドン最小とされるSir John Soane’s Museumですら、東京にある平均的な企業美術館とたいして変わらないか、若干広いくらいだろう。所謂「階級社会」というものが意味する実体の一端が、こうした住宅のありように現れているのだろう。展示されている内容も勿論興味深いものばかりなのだが、展示のありようそのものも文化というものを饒舌に語っている。