熊本熊的日常

日常生活についての雑記

安産祈願

2008年12月02日 | Weblog
仕事で同僚とメールのやりとりがあり、そのなかで彼女が近く産休に入ることが書かれていた。返事を送るとき、そこに「安産をお祈りします」という意味のことを書こうとして、ふと悩んでしまった。

「安産」あるいは「安産をする」を和英辞典で引くと「have an easy birth」(ジーニアス和英辞典)、「easy delivery, safe delivery, easy labor」(英辞郎 on the WEB)といった語彙が現れる。日本語で「安産を祈る」といえば、単に分娩のことだけではなく、子宝を授かって幸福な気分を味わうという、行為に付随した気分まで含めて「安らかなお産をお祈り申し上げる」ということだろう。

英和辞典とちがって、和英辞典になかなか良いものが無いのは、そのあたりの行間を汲み取って言語化することが容易ではない所為かもしれない。あるいは、単純に編纂者や出版社の姿勢の問題かもしれない。いずれにしても、そうした現状の改善を迫る需要がないということは言えるだろう。日本語を英語に変えて表現するのに、そもそも日本語が十分に理解できていない、日本語の意味するところを深く探求する意欲や能力が欠如している、という問題がありはしないだろうか?

日本人の日本語の能力が低下しているのは確かだろう。その端的な例として映画の字幕を挙げることができる。字幕の作成を「映像翻訳」というのだが、これは所謂「翻訳」とは違う。字幕には諸々の規制があり、その制約のなかで日本語の台詞を「作る」のである。例えば原語の台詞1秒間分を4文字以内で表現しなければならない。しかも、ひとつの字幕は原則として12文字以内である。細かな規則は配給会社によって違いがあるようだが、大枠は同じであろう。数年前、「英語でしゃべらないと」というテレビ番組を観ていたら、その時のゲストである映像翻訳者の戸田奈津子氏は「1秒3文字」とおっしゃっていた。すでにそこまで絞っている配給会社もあるということだろう。映画の登場人物には早口の人もいればゆっくりしゃべる人もいる。それを一律に台詞1秒3-4文字で表現するのが映像翻訳なのである。これでは原語をそのまま日本語に「翻訳」するのは不可能だ。この文字数規制は、昭和20年代には1秒5-6文字であったそうだ。字幕が年月の経過に伴って簡略化されている背景には、観客の字幕読解力の低下がある。

日本人の言語能力の低下をここで嘆いていてもはじまらない。なにはともあれ「安産を祈る」だが、ネットで検索をしていたら「教えて!goo」に「wishing you love & happiness」という表現を見つけた。同僚へのメールには “I am wishing you love and happiness!”と書き添えておいた。