クリスマスカードの返事が届き始めた。昨日1通、今日1通である。偶然だが、どちらもユニセフのカードだ。
今日届いたカードの主とは知り合ってから24年8ヶ月になる。しかし、この間に顔を合わせたのは、通算しても1週間にもならない。それでも、時候の挨拶状と、思い出したように年に数回のメールの往復が続いている。実は相手のことをそれほど知らないのだが、なぜかとても親しい間柄であるように、少なくとも私は感じている。
1984年3月。生まれて初めて飛行機に乗って、しかも日本以外の国へ旅行してきたのである。その時、往復のフライトが同じで、旅行中も何度か一緒になったのが、このカードの主だ。当時、格安航空券と言えば、目的地までやたらと経由地が多いものだった。この時は目的地がシドニー。そこに辿り着くのに丸2日を要した。成田を離陸して、福岡、台北、香港、ペナン、クアラルンプール、そしてシドニーである。しかし、この間、その人と私の間に会話は無い。
シドニーからひとりでグレイハウンドという長距離バスを乗り継いで、キャンベラ、一旦シドニーへ戻り、ブリスベーン、アリススプリングス、エアーズロック、一旦アリススプリングスへ戻り、アデレード、メルボルンと回った。ブリスベーンからアリススプリングスまではバスをマウント・アイサとスリー・ウエィズで乗り継ぐ。順調に行けば車中泊2回で3日間で到着できる。たまたま、マウント・アイサへ行く途中で大雨に遭い、道路が不通になってしまった。よりによって砂漠の真ん中で大雨だ。こんなこともあるのである。乗っていたバスはロング・リーチという町でブリスベーンへ引き返すという。先へ行くなら、翌日の同じ時間にこの町を発車する同じ路線のバスに乗れと言われた。「同じ時間」とは午前1時だ。それでこの町で1日過ごすことになった。砂漠のオアシスのようなところにある町で、カンタス航空発祥の地でもある。町の外れの公園にはその記念碑のようなものがあり、ガラスケースにカンタス航空創業当時の航空機のエンジンが飾ってあった。それ以外は何も無い。町をくまなく歩いてみたが、10分もかからなかった。そんなところで24時間過ごした。そして迎えた翌日午前1時。前日バスが停車したところには誰もいない。本当にバスは来るのだろうかと不安に思っていると、どこからともなく3人の男性が現れた。バスの客らしい。やがて、バスのヘッドライトが近づいてきた。フロントガラスの至る所に衝突した大きな蛾がへばりついている。このバスで、マウント・アイサへ行き、そこで乗り換えたバスで、今日のカードの主と再会したのである。
私は記憶に無いのだが、後にその人から言われたのは、最初の会話で強い印象を受けたというのだ。なぜなら、限りなく初対面なのに、開口一番、私が振った話題がジャガイモの話だったというのである。初対面の話題でジャガイモを持ち出す奴など会ったことがないという。
アリススプリングスで別れ、再び出会うのが帰国の飛行機が出るメルボルンだった。メルボルンからはクアラルンプール、香港、台北を経由して成田へ戻った。ここで別れて、次に会ったのが1990年の夏だ。それ以来、会っていない。
この人も、このブログの読者だそうだ。曰く「読んでいて、熊本君は時間の使い方に無駄がない、と言うより時間を無駄に過ごしていないんだな、と気がつきました。」人によってものの見方というのはずいぶん違うものだと思わずにはいられない。無駄というなら、私の時間など全て無駄である。存在自体が無駄だと言われても反論できないほどである。しかし、言われてみれば、確かに退屈というものを感じたことがない。おそらく、ぼぉっとしていることに罪悪感を覚えない性格の所為ではないかと思っている。それにしても24年とは、長い付き合いになったものである。
Mさん、帰国したら遊びに行きます。前回のように、すすきので寿司でも食べましょうよ。あと、Mさん、頂いたカードに貼ってあった切手、使っちゃっても大丈夫だったんですか? 1964年の東京オリンピックの記念切手と1978年の国際文通週間の切手ですよ。
今日届いたカードの主とは知り合ってから24年8ヶ月になる。しかし、この間に顔を合わせたのは、通算しても1週間にもならない。それでも、時候の挨拶状と、思い出したように年に数回のメールの往復が続いている。実は相手のことをそれほど知らないのだが、なぜかとても親しい間柄であるように、少なくとも私は感じている。
1984年3月。生まれて初めて飛行機に乗って、しかも日本以外の国へ旅行してきたのである。その時、往復のフライトが同じで、旅行中も何度か一緒になったのが、このカードの主だ。当時、格安航空券と言えば、目的地までやたらと経由地が多いものだった。この時は目的地がシドニー。そこに辿り着くのに丸2日を要した。成田を離陸して、福岡、台北、香港、ペナン、クアラルンプール、そしてシドニーである。しかし、この間、その人と私の間に会話は無い。
シドニーからひとりでグレイハウンドという長距離バスを乗り継いで、キャンベラ、一旦シドニーへ戻り、ブリスベーン、アリススプリングス、エアーズロック、一旦アリススプリングスへ戻り、アデレード、メルボルンと回った。ブリスベーンからアリススプリングスまではバスをマウント・アイサとスリー・ウエィズで乗り継ぐ。順調に行けば車中泊2回で3日間で到着できる。たまたま、マウント・アイサへ行く途中で大雨に遭い、道路が不通になってしまった。よりによって砂漠の真ん中で大雨だ。こんなこともあるのである。乗っていたバスはロング・リーチという町でブリスベーンへ引き返すという。先へ行くなら、翌日の同じ時間にこの町を発車する同じ路線のバスに乗れと言われた。「同じ時間」とは午前1時だ。それでこの町で1日過ごすことになった。砂漠のオアシスのようなところにある町で、カンタス航空発祥の地でもある。町の外れの公園にはその記念碑のようなものがあり、ガラスケースにカンタス航空創業当時の航空機のエンジンが飾ってあった。それ以外は何も無い。町をくまなく歩いてみたが、10分もかからなかった。そんなところで24時間過ごした。そして迎えた翌日午前1時。前日バスが停車したところには誰もいない。本当にバスは来るのだろうかと不安に思っていると、どこからともなく3人の男性が現れた。バスの客らしい。やがて、バスのヘッドライトが近づいてきた。フロントガラスの至る所に衝突した大きな蛾がへばりついている。このバスで、マウント・アイサへ行き、そこで乗り換えたバスで、今日のカードの主と再会したのである。
私は記憶に無いのだが、後にその人から言われたのは、最初の会話で強い印象を受けたというのだ。なぜなら、限りなく初対面なのに、開口一番、私が振った話題がジャガイモの話だったというのである。初対面の話題でジャガイモを持ち出す奴など会ったことがないという。
アリススプリングスで別れ、再び出会うのが帰国の飛行機が出るメルボルンだった。メルボルンからはクアラルンプール、香港、台北を経由して成田へ戻った。ここで別れて、次に会ったのが1990年の夏だ。それ以来、会っていない。
この人も、このブログの読者だそうだ。曰く「読んでいて、熊本君は時間の使い方に無駄がない、と言うより時間を無駄に過ごしていないんだな、と気がつきました。」人によってものの見方というのはずいぶん違うものだと思わずにはいられない。無駄というなら、私の時間など全て無駄である。存在自体が無駄だと言われても反論できないほどである。しかし、言われてみれば、確かに退屈というものを感じたことがない。おそらく、ぼぉっとしていることに罪悪感を覚えない性格の所為ではないかと思っている。それにしても24年とは、長い付き合いになったものである。
Mさん、帰国したら遊びに行きます。前回のように、すすきので寿司でも食べましょうよ。あと、Mさん、頂いたカードに貼ってあった切手、使っちゃっても大丈夫だったんですか? 1964年の東京オリンピックの記念切手と1978年の国際文通週間の切手ですよ。