帰国が近いので、持って帰る画集や写真集を物色している。自分が日本人である所為もあるのだろうが、芸術の世界では日本の存在感は図抜けていると思う。ロンドンの書店の美術書売り場の定番商品には、日本のマンガ、浮世絵、建築、写真がある。マンガ系はもともと注目度の高い分野だが、一般作品と成人向け作品が同列に論じられているものもあり、多少の違和感がないわけでもない。しかし、手塚治虫や村上隆の超大判画集が積み上げられているのを目の当たりにすると、これは日本のお家芸なのだなと実感する。
マンガよりもさらに多いのが、浮世絵やジャポニズム関連の書籍である。ゴッホ、モネ、マネには日本の浮世絵に影響を受けたと思われる作品があるのは、よく知られていることだ。この分野でも春画が必ず取り上げられている。既に4冊購入しているのだが、どの本にも必ず登場するのは歌麿の「歌まくら」十二枚組物のなかの一枚「茶屋の二階座敷の男女」である。確かに、この作品は春画の域を超えていると思う。見せずに見せる、とでも表現したらよいのだろうか。睦み合う男女を描いた作品だが、あからさまなところがなく、それでいてエロチックなのである。大英博物館のコレクションの一枚なのだが、残念ながらこれまでに実物にお目にかかったことがない。以前にも書いたかもしれないが、大英博物館の日本のコーナーは比較的頻繁に展示の入れ替えがある。今はまさに浮世絵の特集が組まれているのだが、歌麿ではなくて富嶽三十六景だ。
今日はTATE Modernの売店で梅佳代の「じいちゃんさま」をみつけた。しかも平積みである。この人の写真は被写体との距離感に心地よいものを感じる。被写体は自分の祖父なのだそうだが、写真家との間に良好な関係があるのだろう。写真家と被写体との間の信頼関係がなければ、おそらく撮影することが不可能な表情の写真ばかりが登場する。一見すると、どこの家にもあるようなスナップ写真に見えるのである。しかし、構図は写真をきちんと勉強した人らしい完成度の高さを感じる。なんでもない写真のようでいて、プロとしての基本に忠実で、被写体との間の愛情の往来が表現されている、と思う。だから見ていて心地よくなるのだろう。身内や子供だけでなく、市井の人々を被写体にして、このような写真が撮れるようになったら、この写真家は少し怖いかもしれない。
マンガよりもさらに多いのが、浮世絵やジャポニズム関連の書籍である。ゴッホ、モネ、マネには日本の浮世絵に影響を受けたと思われる作品があるのは、よく知られていることだ。この分野でも春画が必ず取り上げられている。既に4冊購入しているのだが、どの本にも必ず登場するのは歌麿の「歌まくら」十二枚組物のなかの一枚「茶屋の二階座敷の男女」である。確かに、この作品は春画の域を超えていると思う。見せずに見せる、とでも表現したらよいのだろうか。睦み合う男女を描いた作品だが、あからさまなところがなく、それでいてエロチックなのである。大英博物館のコレクションの一枚なのだが、残念ながらこれまでに実物にお目にかかったことがない。以前にも書いたかもしれないが、大英博物館の日本のコーナーは比較的頻繁に展示の入れ替えがある。今はまさに浮世絵の特集が組まれているのだが、歌麿ではなくて富嶽三十六景だ。
今日はTATE Modernの売店で梅佳代の「じいちゃんさま」をみつけた。しかも平積みである。この人の写真は被写体との距離感に心地よいものを感じる。被写体は自分の祖父なのだそうだが、写真家との間に良好な関係があるのだろう。写真家と被写体との間の信頼関係がなければ、おそらく撮影することが不可能な表情の写真ばかりが登場する。一見すると、どこの家にもあるようなスナップ写真に見えるのである。しかし、構図は写真をきちんと勉強した人らしい完成度の高さを感じる。なんでもない写真のようでいて、プロとしての基本に忠実で、被写体との間の愛情の往来が表現されている、と思う。だから見ていて心地よくなるのだろう。身内や子供だけでなく、市井の人々を被写体にして、このような写真が撮れるようになったら、この写真家は少し怖いかもしれない。