昨日、自然史博物館で観た「ダーウィン展」も興味深いものだった。ダーウィンの業績は今更語るまでもないことなのだが、本展ではビーグル号での航海で彼が目にしたものと、そこから進化論に至る道筋を追ったものである。
この展覧会の要旨のひとつでもあるのだが、ダーウィンは進化論を発見したのではない。既に彼が生きた時代には進化論に近い考え方というものがいくつか発表されていて、それ自体は新しい理論というわけではなかったのだそうだ。この企画展で強調しているのは、5年間に及ぶ航海で観察した事実を、理論という形に体系化する科学的手法を彼が発見したことなのである。
英国海軍の測量船であったビーグル号にダーウィンが乗り組むことになったのは、博物学者として船長のロバート・フイッツロイの話し相手となるためだったという。彼を乗組員に推薦したのはケンブリッジ大学で彼が師事していたジョン・スティーブンス・ヘンズローのだった。ビーグル号は1831年12月27日にプリマスを出港。時にダーウィンは22歳。本人は博物学者という自覚はなかったそうだ。帰国したのは1836年10月2日、そして「進化論」を出版するのは1859年11月24日である。
新しい理論ではないとは言いながら、教会の権威は今よりもはるかに大きなものであったろうし、人間もサルも時代を遡れば同じルーツに行き着くなど、誰も受け容れることのできない話であっただろう。その世間に受け容れられそうにない主張をするのである。その準備に20年以上の歳月を要するのは当然のことだったのではないか。
ビーグル号の航海での様々な観察があり、それに触発された発想があり、それを体系化する時間と他の学者の研究成果がある。そうしたひとつひとつのことを丹念につなぎ合わせた結果としての進化論である。出版する時点で、既に迷いは無かっただろう。だからこそ、教会や保守層からの激しい批判にも耐え、賛同者を着実に増やすことができたのである。
えてして人は自分の見たいと思うものしか見ないものである。たとえ事実であっても、自分にとって都合の悪い現実は、異常なこととして深く考えることをしない。自分の論理が決定的に破綻をきたしてから、ようやく現実の姿に気付くというのはまだ救いがあるほうで、それでも現実を否定するという人も珍しくはない。まずは事実を適切に認識すること、そうした認識を地道に累積させること、そうして初めて既存の枠組みでは考えることができなかったことを考えることができるようになるものだ。
そんなことは当然だと思う人が多いだろうが、なかなかできることではない。自分で観察したり考えたりすることをせず、安易に他人や世間の妄言を信じるから、結局いつも右往左往することになる。11日にFBIに逮捕されたナスダックの元会長、バーナード・マドフが集めた金はまだ未確定だが現時点では約500億ドルと報道されている。彼のファンドには野村グループをはじめとして世界の名立たる機関投資家が出資をしていることが既に明らかになっている。「プロの資産運用」などと宣いながら、詐欺ファンドに軽軽と引っ掛かる。「プロ」の現実とはこの程度なのである。
この展覧会の要旨のひとつでもあるのだが、ダーウィンは進化論を発見したのではない。既に彼が生きた時代には進化論に近い考え方というものがいくつか発表されていて、それ自体は新しい理論というわけではなかったのだそうだ。この企画展で強調しているのは、5年間に及ぶ航海で観察した事実を、理論という形に体系化する科学的手法を彼が発見したことなのである。
英国海軍の測量船であったビーグル号にダーウィンが乗り組むことになったのは、博物学者として船長のロバート・フイッツロイの話し相手となるためだったという。彼を乗組員に推薦したのはケンブリッジ大学で彼が師事していたジョン・スティーブンス・ヘンズローのだった。ビーグル号は1831年12月27日にプリマスを出港。時にダーウィンは22歳。本人は博物学者という自覚はなかったそうだ。帰国したのは1836年10月2日、そして「進化論」を出版するのは1859年11月24日である。
新しい理論ではないとは言いながら、教会の権威は今よりもはるかに大きなものであったろうし、人間もサルも時代を遡れば同じルーツに行き着くなど、誰も受け容れることのできない話であっただろう。その世間に受け容れられそうにない主張をするのである。その準備に20年以上の歳月を要するのは当然のことだったのではないか。
ビーグル号の航海での様々な観察があり、それに触発された発想があり、それを体系化する時間と他の学者の研究成果がある。そうしたひとつひとつのことを丹念につなぎ合わせた結果としての進化論である。出版する時点で、既に迷いは無かっただろう。だからこそ、教会や保守層からの激しい批判にも耐え、賛同者を着実に増やすことができたのである。
えてして人は自分の見たいと思うものしか見ないものである。たとえ事実であっても、自分にとって都合の悪い現実は、異常なこととして深く考えることをしない。自分の論理が決定的に破綻をきたしてから、ようやく現実の姿に気付くというのはまだ救いがあるほうで、それでも現実を否定するという人も珍しくはない。まずは事実を適切に認識すること、そうした認識を地道に累積させること、そうして初めて既存の枠組みでは考えることができなかったことを考えることができるようになるものだ。
そんなことは当然だと思う人が多いだろうが、なかなかできることではない。自分で観察したり考えたりすることをせず、安易に他人や世間の妄言を信じるから、結局いつも右往左往することになる。11日にFBIに逮捕されたナスダックの元会長、バーナード・マドフが集めた金はまだ未確定だが現時点では約500億ドルと報道されている。彼のファンドには野村グループをはじめとして世界の名立たる機関投資家が出資をしていることが既に明らかになっている。「プロの資産運用」などと宣いながら、詐欺ファンドに軽軽と引っ掛かる。「プロ」の現実とはこの程度なのである。