熊本熊的日常

日常生活についての雑記

不義理宣言

2008年12月04日 | Weblog
11月24日付「時候の挨拶」のなかにクリスマスカードの24枚セットを買ったと書いた。今日、その24枚の最後の1枚を投函した。これで今年のクリスマスカードは終わりである。もう書かない。

ここ3年間ほどの年賀状の束が手もとにある。その差出人の名前を眺めながら、「もうこの人とは二度と会うこともないだろうなぁ」と感じるのは1人や2人ではない。なかには「まだ生きてるかな?」と思う人も、やはり1人や2人ではない。既に学生時代や社会人の同期生のなかには病気、事故、あるいは自殺によって鬼籍に入った人もいる。

せっかく隠遁生活を送っているのだから、これを機に余計なものは整理してしまおうと考えている。24人を選ぶのは容易ではなかった。20人くらいはすぐに決まるのだが、残り4人に誰を選ぶかというのは、多少は悩むものである。

24枚のクリスマスカードは、ほぼ同じような内容の文言なのだが、万年筆で書いた。私は筆記具が好きで、今はペリカンの万年筆にペリカンのブリリアント・ブラックという色のインクを入れて使っている。2006年4月に東京駅前オアゾの丸善で店員の話を聞きながら選んだ。時間をかけて選んだ甲斐あって、なかなか使い心地がよく気に入っている。毛筆や万年筆の字は線の入と出が比較的明瞭にわかるので、その人の個性が如実に現れるような気がする。パソコンで書く文書と違って、書いてある内容とそれを表現する手書きの文字とが相まって、同じ文章でも活字よりもはるかに多くのことを相手に伝えているように思うのである。

手紙やカードを書くのは伝えたいことがあるからだ。それなら、きちんと選んだ筆記具と用紙に、たとえ悪筆でも、一文字一文字に想いを託して書きたいではないか。御座なりの、いかにも義理で書きました風の印刷や写真の書状を出すのは、かえって失礼なのではないかとさえ思う。断っておくが、印刷や写真が失礼だと言っているのではない。御座なりの印刷や写真が失礼だと言っているのである。「とりあえず出しておきました」というような「挨拶」を平気でする人間を私は信用したくはない。