熊本熊的日常

日常生活についての雑記

民度

2008年12月10日 | Weblog
既に今住んでいる家の退居の通知を不動産業者と家主にしてある。現在、次の入居者を募集しており、内見の連絡が不動産業者から入ることがある。今日は内見客が来るはずだったが、現れなかった。これまでに3回内見の連絡を受けたが、実際に内見客がやって来たのは1回だけである。不動産業者によれば、内見を申し込むだけで現れない客というのは珍しいことではないそうだ。

内見客があるときに、家の中に洗濯物が干してあったり、食事の臭いが籠っていたりしていては、まとまる話もまとまらなくなってしまうのではないかと心配し、内見に合わせて家事の段取りもつけている。内見客が来ようが来まいが私には利害得失は無いのだが、洗濯のスケジュールが狂ってしまうと着替えがなくなってしまうことにもなりかねない。これまで3回とも内見は午後7時頃ということになっていたので、内見客のある日は、夕食の準備は内見後にして、腹をすかせて待っている。そういうことに対する想像力というものが働かないものなのだろうか?

ロンドンでの生活で不愉快なのは、職場のトイレが汚いことと、地下鉄などの公共施設の利用マナーが悪いことである。これまでにいろいろな職場を経験したが、現在の勤務先ほどトイレが汚いところは見たことがない。公共交通機関の施設内もひどい。ロンドンではフリーペーパーの種類が多く、その流通量が豊富な所為もあるのだろうが、地下鉄のなかはそうした新聞類が散らかっている。折り返しの駅で車内清掃が行われるが、回収しきれないほどの量である。車内だけではない。駅のエスカレーターの脇の斜面を新聞が滑り降りて行くのはよくある風景だ。飲み残しが入ったままのペットボトルやコーヒー類の蓋付き紙コップも散乱している。

ロンドンではその昔、まだ下水が整備される以前、住宅で発生する汚水は室内でバケツに溜め、それが一杯になると窓から捨てていたそうだ。うっかり住宅街を歩いていると、頭上から汚物が落ちて来るということもあったらしい。そもそも、家の中も靴のままという生活スタイルが受け容れ難い。清潔とか不潔という感覚が私の理解の範囲を超えているということなのだろう。

引越に際して、今住んでいる家の原状回復をしなければならないので、自分で購入したベッドと整理タンスの引き取り手をネット上の掲示板を利用して募集した。まずは日本語の掲示板に出して、引き取り手が現れなかったら、英語の掲示板に出すつもりでいた。幸い、ベッドもタンスも日本語の掲示板で引き取り手が見つかり、先週末に譲り渡しを済ませた。言葉の問題もあるのだが、相手が日本人だと常識をある程度共有できるので比較的安心して取引ができる。実際、ベッドを引き取りに来た人も、タンスを引き取りに来た人も、事前の打ち合わせ通りの時間にやってきて、何の問題もなく荷物を車に積んで持って行った。

「民度」という言葉をネットで検索すると、日本人の民度の低さを嘆いたブログが多数ヒットする。自己に対する懐疑というものを知らない人たちより、自己の欠点探しに右往左往している人たちのほうが、まだ未来があるような気がする。