昔、冷戦というものがあった。規模の大小を問わず、争い事というのは、終わってみれば、何が原因だったのか、何を求めて争ったのか、よくわからないものである。そして、長い目で見れば、勝っても負けても、争い事で得ることというのは知れている。一方の当事者であったソ連という国は、今はもうない。それで世の中が平和になったわけでもない。
仕事帰りにVictoria and Albert Museumに寄り、”Cold War Modern”という企画展を観てきた。これは冷戦時代のなかでも、特に1945年から1970年にかけてのデザインを概観したものだ。「デザイン」と言ってしまうと漠然としたものに聞こえてしまうのだが、家具、家電製品、建築、商業デザインなど様々なものである。
展覧会のタイトルにも’Modern’という言葉が使われているが、この言葉の背後には、時代の変化というものに方向性があり、過去より未来に価値があるとの前提がある。20世紀のなかばにおいて、誰もが健康で文化的な生活を営むことができる、ということは未来の話だった。第二次世界大戦後の荒廃した世界にあって、人々がそうした未来を指向するのは当然のことであったろう。
展示は一枚の写真パネルから始まる。瓦礫の山の上に立って配給物資を運んで来る輸送機を見上げるベルリンの人々。ベルリン封鎖によって当時の西ベルリンが陸の孤島と化した際に、米国を中心とする旧連合国の西側諸国が実施した”Airlift”と呼ばれる西ベルリン救援作戦の一風景である。この写真が撮影された時から60年を経て、世界は果たして当時の人たちが目指したものになったのだろうか、と思う。
現在の欧州や日本の社会が瓦礫の山から始まったという事実は、デザインを考える上で、実は重要なのかもしれない。「これからどうなるんだろう」という不安と、「これから新しい世界を作るんだ」という希望とが入り交じった状況のなかで東西の対立という新たな緊張が起る。東西それぞれの陣営で、自分たちの目指すユートピア的未来が語られる。どちらの側でも、何故か直線的なデザインとか流線型が目立つのだが、それは当時の豊かさの象徴でもあった鉄鋼製品をふんだんに使った大量生産品を指向した結果として、そのような形のものが多く考え出されたということなのだろうか? 一方で、球型に近いデザインも、インテリアを中心に多く見られる。そのなかにはソニーやパナソニックのポータブルテレビもある。IBMの電動タイプライターは、私が社会人になったばかりのころ、職場にあったものだ。自分が日常で利用していたものを博物館の展示で見るのは新鮮な気分がするが、こうして眺めてみると、確かにいい形をしている。IBMのタイプライターがあれば、当然、オリベッティの製品もある。生まれて初めてタイプライターというものを買ったのは、大学1年の時だった。オリベッティの「レッテラ32」というモデルで、これも美しい形をしていた。
冷戦時代の出来事で忘れてはいけないのが、宇宙開発だろう。人類にとっての様々な意味でのフロンティア開発という遠大な展望もあっただろうが、より現実的には軍事技術のひとつとして、米ソ間で「開発競争」とも呼ばれるほどに次々に新たな技術開発が行われた。宇宙開発に関連したデザインも、機能性はさておきイメージ先行型だが、ファンションや建築の分野での展示があった。尤も、宇宙に関連した機能的デザインは不可能だろう。宇宙で生活している人などいないのだから、どのような機能が求められるのかなどわかるはずがない。
興味深いのは、展示のひとつとして「007」シリーズの映像が流れていたことである。確かに、もともとあのシリーズには東西対立を背景にしたイデオロギーがあった。西側世界のご意見番を自任する英国の諜報部員の活躍を描いているのだから、その敵が何を意味しているかというのは言わずもがなであろう。
東西冷戦で思い出すのは、まだ壁があった頃のベルリンを訪れたことである。東西の間には壁と地雷原があり、いくつかの検問所が設けられて、厳しい検査を経て往来ができるようになっていた。その検問所のひとつに’Checkpoint Charilie’と呼ばれるものがあり、その近くに「壁の博物館(Mauermuseum)」というものがあった。そこでは東側から西側へ逃亡を図った人たちの記録を観ることができた。トンネルを掘る、自動車の車体をコンクリートで補強して検問所を強硬突破する、高圧電線の鉄塔に張ってある保守用のケーブルに滑車をひっかけて渡る、など命がけの逃亡劇の記録がそこにあった。私が訪れたのは1989年6月だったが、その時点で逃亡に失敗して落命した最後の事例として紹介されていたのが、同年3月のことだったと記憶している。周知の通り、同年11月にベルリンの壁は崩壊した。逃亡してきた人々は、実際に西側での生活を始めてみて、そこに何を見ただろう。今、この瞬間、そうした人たちが幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。
仕事帰りにVictoria and Albert Museumに寄り、”Cold War Modern”という企画展を観てきた。これは冷戦時代のなかでも、特に1945年から1970年にかけてのデザインを概観したものだ。「デザイン」と言ってしまうと漠然としたものに聞こえてしまうのだが、家具、家電製品、建築、商業デザインなど様々なものである。
展覧会のタイトルにも’Modern’という言葉が使われているが、この言葉の背後には、時代の変化というものに方向性があり、過去より未来に価値があるとの前提がある。20世紀のなかばにおいて、誰もが健康で文化的な生活を営むことができる、ということは未来の話だった。第二次世界大戦後の荒廃した世界にあって、人々がそうした未来を指向するのは当然のことであったろう。
展示は一枚の写真パネルから始まる。瓦礫の山の上に立って配給物資を運んで来る輸送機を見上げるベルリンの人々。ベルリン封鎖によって当時の西ベルリンが陸の孤島と化した際に、米国を中心とする旧連合国の西側諸国が実施した”Airlift”と呼ばれる西ベルリン救援作戦の一風景である。この写真が撮影された時から60年を経て、世界は果たして当時の人たちが目指したものになったのだろうか、と思う。
現在の欧州や日本の社会が瓦礫の山から始まったという事実は、デザインを考える上で、実は重要なのかもしれない。「これからどうなるんだろう」という不安と、「これから新しい世界を作るんだ」という希望とが入り交じった状況のなかで東西の対立という新たな緊張が起る。東西それぞれの陣営で、自分たちの目指すユートピア的未来が語られる。どちらの側でも、何故か直線的なデザインとか流線型が目立つのだが、それは当時の豊かさの象徴でもあった鉄鋼製品をふんだんに使った大量生産品を指向した結果として、そのような形のものが多く考え出されたということなのだろうか? 一方で、球型に近いデザインも、インテリアを中心に多く見られる。そのなかにはソニーやパナソニックのポータブルテレビもある。IBMの電動タイプライターは、私が社会人になったばかりのころ、職場にあったものだ。自分が日常で利用していたものを博物館の展示で見るのは新鮮な気分がするが、こうして眺めてみると、確かにいい形をしている。IBMのタイプライターがあれば、当然、オリベッティの製品もある。生まれて初めてタイプライターというものを買ったのは、大学1年の時だった。オリベッティの「レッテラ32」というモデルで、これも美しい形をしていた。
冷戦時代の出来事で忘れてはいけないのが、宇宙開発だろう。人類にとっての様々な意味でのフロンティア開発という遠大な展望もあっただろうが、より現実的には軍事技術のひとつとして、米ソ間で「開発競争」とも呼ばれるほどに次々に新たな技術開発が行われた。宇宙開発に関連したデザインも、機能性はさておきイメージ先行型だが、ファンションや建築の分野での展示があった。尤も、宇宙に関連した機能的デザインは不可能だろう。宇宙で生活している人などいないのだから、どのような機能が求められるのかなどわかるはずがない。
興味深いのは、展示のひとつとして「007」シリーズの映像が流れていたことである。確かに、もともとあのシリーズには東西対立を背景にしたイデオロギーがあった。西側世界のご意見番を自任する英国の諜報部員の活躍を描いているのだから、その敵が何を意味しているかというのは言わずもがなであろう。
東西冷戦で思い出すのは、まだ壁があった頃のベルリンを訪れたことである。東西の間には壁と地雷原があり、いくつかの検問所が設けられて、厳しい検査を経て往来ができるようになっていた。その検問所のひとつに’Checkpoint Charilie’と呼ばれるものがあり、その近くに「壁の博物館(Mauermuseum)」というものがあった。そこでは東側から西側へ逃亡を図った人たちの記録を観ることができた。トンネルを掘る、自動車の車体をコンクリートで補強して検問所を強硬突破する、高圧電線の鉄塔に張ってある保守用のケーブルに滑車をひっかけて渡る、など命がけの逃亡劇の記録がそこにあった。私が訪れたのは1989年6月だったが、その時点で逃亡に失敗して落命した最後の事例として紹介されていたのが、同年3月のことだったと記憶している。周知の通り、同年11月にベルリンの壁は崩壊した。逃亡してきた人々は、実際に西側での生活を始めてみて、そこに何を見ただろう。今、この瞬間、そうした人たちが幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。