12月6日付「無理難題」で子供からの英国土産の注文について書いた。いよいよロンドンで過ごす週末はこの土日と来週の土日だけになってしまったので、今日は土産探し行脚だ。
6日に書いたWhistlejacket柄の傘は12月17日の仕事帰りにNational Galleryに寄った折に買い求めておいた。しかし、さすがにこれはいかがなものか、という代物だ。冗談としてはよいだろうが、これだけで済ますわけにも行かないだろうと思い、今日の行脚となった。
特に具体的な考えもないままに、とりあえずLibertyという百貨店を訪れた。ロンドンには有名な百貨店がいくつもあるのだが、ここの品揃えは独特で気に入っているのと、比較的空いていて買いやすいので、ここにした。この建物も好きだ。日本では建築基準法や消防法との関係であり得ないのだが、木造5階建てなのである。木造大型建築物が持つ独特の味わいのようなものがあって、なかなかよい雰囲気だ。断っておいたほうがよいかもしれないが、「気に入っている」だの「買いやすい」だのと書いたが、ここで買い物をしたことは一度も無い。あくまで、買い物をするとしたら、という想像の話である。そして、今日も結局ここでは何も買わなかった。
LibertyからCarnaby Streetへ出て、突き当たりをRegent Streetへ出て、Vigo Streetへ抜けてRoyal Academy of Artsへ行ってみる。売店をのぞいてみたが、これはというものがない。しかし、せっかくなので、開催中のGSK Contemporaryという企画展ものぞいてきた。コンテンポラリーは名前が売れている作家の作品なら「芸術」として世間から認知され、多くの観客を呼ぶのだが、そうでないとただの余興だ。物好きでもない限り、金を払ってまで観に来たりはしない。そんなわけで、観客は殆どいなかった。私は物好きなので、コンテンポラリーは大好きだ。この企画展もたいへんおもしろかった。これについて書き出すと長くなるので、別の機会に譲る。ちなみに、私の子供に言わせると、コンテンポラリーは「資源の無駄遣い」との厳しい評価である。無駄、というなら、そもそも人間の存在自体が無駄の最たるものではないか。他者を評して無駄だの無用だのという背景には「自分は貴重」という思い上がりがありはしないだろうか。世間の評価が固定化したものだけに存在価値があるとするなら、世の中のものは全てが無駄ということになってしまう。なぜなら、最初から評価が固定化されたものなど無いからだ。それに評価する主体である自分が他者にとって無駄なのか否かということも考えなくてはならないということになるだろう。無駄とは何なのか、無駄の無い世界というものが存在しうるものなのか、無駄こそが豊かさの源なのではないか、無駄がなければ人は生きることができないのではないか。日常何気なく使う言葉の裏に、ほんとうは考えなければならないことがたくさんある。いずれ、そういう議論は子供がもう少し大きくなってから、ゆっくり語り合ってみたい。
Royal Academy of ArtsからGreen Parkへ抜け、地下鉄Victoria LineでPimlicoへ行き、TATE Britainをのぞいてみる。ついでに、少し腹がへったので、members roomで腹ごしらえをする。さらについでに、せっかくなのでミレイやロセッティ、バーン=ジョーンズなどを眺めてみる。ここに来る途中の地下鉄の駅にナショナル・ジオグラフィックのショップの広告が出ていた。以前にも、地下鉄のなかで、このショップの紙袋を持った人を見かけて、この店がどこにあるのか気になっていた。広告には住所も掲載されていたので、出かけてみる。
PimlicoからVictoria LineでOxford Circusへ行く。ナショナル・ジオグラフィックの店は83 Regent Streetだ。店はかなり広く、なかなか面白そうなものが置いてある。実用的であるかどうかは使う人次第だが、ロゴ入りのシステム手帳があったので、それを買うことにした。革の、やや大きめのカバーで、ファスナーがついていて、手帳というよりクラッチバックのようにも使えるかもしれない。システム手帳は日本でも珍しいものではないが、6穴のものは英国で考案されたそうだ。これで一応は「英国らしい」という説明がつくだろう。これで懸案が片付き、一安心である。
Japan Centreが近いので、ついでに立ち寄って、どら焼きと納豆を買って住処へ戻った。
6日に書いたWhistlejacket柄の傘は12月17日の仕事帰りにNational Galleryに寄った折に買い求めておいた。しかし、さすがにこれはいかがなものか、という代物だ。冗談としてはよいだろうが、これだけで済ますわけにも行かないだろうと思い、今日の行脚となった。
特に具体的な考えもないままに、とりあえずLibertyという百貨店を訪れた。ロンドンには有名な百貨店がいくつもあるのだが、ここの品揃えは独特で気に入っているのと、比較的空いていて買いやすいので、ここにした。この建物も好きだ。日本では建築基準法や消防法との関係であり得ないのだが、木造5階建てなのである。木造大型建築物が持つ独特の味わいのようなものがあって、なかなかよい雰囲気だ。断っておいたほうがよいかもしれないが、「気に入っている」だの「買いやすい」だのと書いたが、ここで買い物をしたことは一度も無い。あくまで、買い物をするとしたら、という想像の話である。そして、今日も結局ここでは何も買わなかった。
LibertyからCarnaby Streetへ出て、突き当たりをRegent Streetへ出て、Vigo Streetへ抜けてRoyal Academy of Artsへ行ってみる。売店をのぞいてみたが、これはというものがない。しかし、せっかくなので、開催中のGSK Contemporaryという企画展ものぞいてきた。コンテンポラリーは名前が売れている作家の作品なら「芸術」として世間から認知され、多くの観客を呼ぶのだが、そうでないとただの余興だ。物好きでもない限り、金を払ってまで観に来たりはしない。そんなわけで、観客は殆どいなかった。私は物好きなので、コンテンポラリーは大好きだ。この企画展もたいへんおもしろかった。これについて書き出すと長くなるので、別の機会に譲る。ちなみに、私の子供に言わせると、コンテンポラリーは「資源の無駄遣い」との厳しい評価である。無駄、というなら、そもそも人間の存在自体が無駄の最たるものではないか。他者を評して無駄だの無用だのという背景には「自分は貴重」という思い上がりがありはしないだろうか。世間の評価が固定化したものだけに存在価値があるとするなら、世の中のものは全てが無駄ということになってしまう。なぜなら、最初から評価が固定化されたものなど無いからだ。それに評価する主体である自分が他者にとって無駄なのか否かということも考えなくてはならないということになるだろう。無駄とは何なのか、無駄の無い世界というものが存在しうるものなのか、無駄こそが豊かさの源なのではないか、無駄がなければ人は生きることができないのではないか。日常何気なく使う言葉の裏に、ほんとうは考えなければならないことがたくさんある。いずれ、そういう議論は子供がもう少し大きくなってから、ゆっくり語り合ってみたい。
Royal Academy of ArtsからGreen Parkへ抜け、地下鉄Victoria LineでPimlicoへ行き、TATE Britainをのぞいてみる。ついでに、少し腹がへったので、members roomで腹ごしらえをする。さらについでに、せっかくなのでミレイやロセッティ、バーン=ジョーンズなどを眺めてみる。ここに来る途中の地下鉄の駅にナショナル・ジオグラフィックのショップの広告が出ていた。以前にも、地下鉄のなかで、このショップの紙袋を持った人を見かけて、この店がどこにあるのか気になっていた。広告には住所も掲載されていたので、出かけてみる。
PimlicoからVictoria LineでOxford Circusへ行く。ナショナル・ジオグラフィックの店は83 Regent Streetだ。店はかなり広く、なかなか面白そうなものが置いてある。実用的であるかどうかは使う人次第だが、ロゴ入りのシステム手帳があったので、それを買うことにした。革の、やや大きめのカバーで、ファスナーがついていて、手帳というよりクラッチバックのようにも使えるかもしれない。システム手帳は日本でも珍しいものではないが、6穴のものは英国で考案されたそうだ。これで一応は「英国らしい」という説明がつくだろう。これで懸案が片付き、一安心である。
Japan Centreが近いので、ついでに立ち寄って、どら焼きと納豆を買って住処へ戻った。