熊本熊的日常

日常生活についての雑記

地下鉄路線図

2008年12月19日 | Weblog
普段、何気なく眺めている地下鉄の路線図だが、これを世界各地から集めてみると、デザインが驚くほど似ていることに気付くだろう。路線毎に色分けされ、線の種類は水平、垂直、45度の三種類が基本で、駅の印は乗り換えの有無で分けられている。

実は、現在の地下鉄路線図の原形がロンドン地下鉄の路線図なのである。正確には、ロンドン地下鉄でダイヤ作成や路線図のデザインをする仕事に従事していたHarry Beck氏が考案したものである。氏の最初の作品が1931年に発行されたベルリンの地下鉄路線図であり、ロンドンのそれは翌32年発行だ。勿論、路線図自体は地下鉄開業時からあったが、初期のものは既存の地図に地下鉄路線を書き込んだような体裁のものである。

路線や駅が少ないならば、路線図の意匠など気にする必要もないだろう。しかし、それが網の目のように発展すれば、路線図が同様に網目のようになってしまうと、見にくくなり、何のための路線図なのだかわからなくなってしまう。利用者が知りたいのは、A地点からB地点へ移動するのに、どの線を利用し、どこで乗り換えるのが効率的かということであろう。一見複雑なものでも、ある意図に基づいて必要な情報とそうでないものとを取捨選択すれば、思いの外単純化ができるものである。この点において、現在、ロンドンは勿論、東京でもベルリンでもパリでもマドリッドでもソウルでも、地下鉄網の発達した都市ではどこも似たような路線図が使われている。

英国には「世界初の」というものがたくさんあるのだが、科学技術だけでなく意匠の世界でも既存の考え方にとらわれずに合理的な発想をするという文化があった。世界に新しいものを次々と発信し続けるというのは歴史上の偉業だと思う。新しいことを考え出し、それを誰もが利用できるようにするというところに、真の偉大さがあるように思う。

ちかごろは「知的所有権」などと、つまらないものにまで自分の所有権を主張して、それでささやかな利益を得ようなどとする雑魚のような輩が多いように感じられる。以前、知的所有権侵害の被害者に弁護士と裁判費用を斡旋し、侵害者に対して訴訟を起こし、損害賠償を獲得した暁に成功報酬をいただくという仕事に関わったことがある。マスコミを使って、記事に取り上げてもらったら、問い合わせや訴訟依頼が殺到した。そのいくつかを拝見させていただいたが、訴訟に耐えるほどの独創性や新規性のあるものは皆無だった。

人の発想というのは、それほど大きな個人差があるわけではない。もし、そこここに独創的な人がいたら、そもそも社会の秩序というのは成り立たないかもしれない。時に、世を揺るがすような大事件もあるけれど、人間社会が今日まで続いていること自体、人間の物事に対する考え方が大同小異であることの証左であろう。自分だけが何か突出したものを持っているかのように思うのは、単なるエゴの肥大に過ぎない。

それでも、もし、自分が他人よりも優れたものを持ち合わせていると考えるのなら、それを公開して、広く世間全体の利益になるようにしようと考えるほうが、はるかに自分自身にとっても有益ではないだろうか。自分だけでは思いもよらないような発想の展開を得て、それこそ世の中を良いほうに変えるかもしれない。ひとつひとつは些細な思いつきでも、それが数多の別の発想を誘引し、世の中を豊かにするようなものにつながれば、そこで生活する自分自身の利益にもなる。利益というのは端金のことではない。気持ちよく生きることだ。

地下鉄の路線図を眺めながら、上手いことを考えたと思うと同時に、それが世界各地で使われていることを知り、この国の偉大さというものも感じた次第である。

参考文献:Mark Ovenden “Metro Maps of the World” Capital Transport 2005