情けないもので、こういう時にどうしたらよいものか咄嗟にわからない。とりあえず、出勤してから不動産業者に連絡して指示を仰いだ。家主に連絡するという選択肢もあるのだが、私は英語が不自由なので、電話と郵便以外に連絡手段を持たない家主よりも、メールで意志の疎通を図ることのできる不動産業者のほうを頼ってしまう。しばらくするとメールの返事が届いた。家主に連絡したところ、すぐに電気工事業者を手配するよう依頼されたので、そのようにしたという旨のことが書かれていた。ほどなく電気工事業者から私の携帯に電話が入った。これからすぐに行く、という。すぐに来られても、職場にいて家にいないので、翌日の朝にきてもらうことにして電話を切った。
果たして今日の朝、立派な体格をした初老の男性が道具箱を持って現れた。温水器は極めて単純な仕組みである。タンクに水をため、それをヒーターで温めるだけだ。修理といっても、テスターで機器の通電を確認し、作動しなくなったヒーターを交換するだけだ。慣れた様子で作業はすぐに終わり、男性は悠々と引き揚げていった。
何か困ったことが起きた時、最も手っ取り早い解決方法は、そのことを知っている人に尋ねることだと思う。以前読んだ小説に、人をひとり知ることは図書館1つ分の新たな知識を得るのに等しい、というようなことが書いてあった。図書館といってもいろいろあるが、あながち大袈裟な物言いでもないだろう。
人ひとりができることはたかが知れている。3本の矢の逸話ではないが、人は他者と関係することで存在意義を得るのであり、何事かを成すことができるのである。当然のように人は集団として行動する。家族、地域、組織、国家、民族、その他諸々と集団の単位は様々でも、何がしかの集団への帰属意識を持って生きている。そして、自己の領域は自分自身だけでなく、自分が帰属していると意識している集団にも及んでいる。
温水器が故障して困った、それを他人に相談したらすぐに解決した。それだけの些細な出来事だが、そこに人と人とのつながりが機能している。そういうつながりを感じることが人としての普通の幸せでもあると思う。