昨日はロンドン塔だけでなくGeffrye Museumも訪れた。ここは英国の典型的なmiddle class家庭の居間の変遷を展示している博物館である。18世紀に養老院として使われていた建物を利用しており、博物館の外観はmiddle classの住宅というわけではない。
なぜ「middle class」と表記して「中流階級」とか「中産階級」という語彙を使わないかというと、意味が一致しないからである。困ったことに「middle class」の語感は英語と米語の間でも異なるそうだ。さらに困ったことに、この語の意味するところが時代と共に変化している。
最近、日本では「格差社会の到来」などと言われているようだが、意識調査を行えば圧倒的多数の人が自分は「中流階級」に属していると回答する。こうした現象は米国でも見られるそうだ。ところが、英国では多くの人が「労働者階級」に属すると回答するという。これは英国での「labour class」と日本語の「労働者階級」の語感に違いがあり、英国英語には「労働者」にそれほど否定的なニュアンスが無いという事情もあるのだそうだ。英国において社会階級を「upper」、「middle」、「lower」と分けるのは所得水準よりも教育や家庭環境に拠るところが大きいという。周知の通り、英国議会は労働党と保守党による二大政党制である。現ブラウン政権も、その前のブレア政権も労働党である。トニー・ブレア氏の生い立ちは、エリート中のエリートと呼べるほどのものであり、日本語の「労働者」の語感からはほど遠い。
ちなみに、かつてゴルバチョフが日本を「世界で最も成功した社会主義国」と評したのは有名な話である。日本人のセルフイメージとは裏腹に、外国から見た日本の「中流階級」は、「labour class」に近いということなのだろう。
さて、博物館ではmiddle classの住宅の居間を1630年、1695年、1745年、1790年、1830年、1870年、1890年、1910年、1935年、1965年、1998年の順に展示している。家庭内での男女の役割の分化、公私の分離といった流れがインテリアという物理的風景の中に読み取ることができる。また、調度品類も社会の豊かさの進展とともに変化しているのが興味深い。
個人的には陶器の位置づけの変化が面白かった。初期においてはガラス器が高価なので、ほんとうはガラスが欲しいけれど陶器で我慢する、というような使われ方だったという。ところが、中国から、それまで見た事も無いような絵柄や形状の陶器が大量に流入するようになると、実用品というよりは装飾品として広がりを見せるようになる。また、英国といえば紅茶も代表的嗜好品だが、初期のティーポットは小さい。これは陶器が単純に大きさに比例して製作の難易度が上がるという事情が影響していないわけではないが、より大きな要因としては古くは紅茶が貴重品であり、大量に消費されることがなかったからである。最初、紅茶は薬として少量ずつ消費された時代があるのだそうだ。
英国では紅茶に砂糖とミルクを入れて飲まれることが多いのだが、こうした飲み物が普及すること自体、英国の国力の強さを象徴している。紅茶の茶葉はインドや中国から輸入され、砂糖はカリブ海諸島から輸入される。そこに地元の酪農家で産するミルクを加える。英国を中心に東西から長い距離を運ばれてきた産物が大量に消費されるということが何を意味するのか、言わずもがなであろう。
そういう国の「middle class」が新興国や全く異なる歴史を持つ国のそれや中流階級とどの程度同じなのか、あるいは違うのか、ということは一考に値するだろう。
それにしても、自分がどの社会階層に位置するかという意識調査というのは馬鹿げたことである。どの階級に属したからどうだというのだろう?