英国の画家と言って誰を思い浮かべるだろうか。私の独断と偏見によれば、以下のような名前を挙ることができる。
William Hogarth (1697-1764)
George Stubbs (1724-1806)
Thomas Gainsborough (1727-1788)
William Blake (1752-1827)
Joseph Mallord William Turner (1775-1851)
John Constable (1776-1837)
William Holman Hunt (1827-1910)
Dante Gabriel Rossetti (1828-1882)
John Everett Millais (1829-1896)
Edward Coley Burne-Jones (1833-1898)
John Singer Sargent (1856-1925)
Francis Bacon (1909-1992)
少ない。ここに挙げた人は、自分のなかで馴染みがあるというだけのことであり、特別好きというわけでもない。ただ、ジョージ・スタッブスについては好きな画家として、このブログでも過去に何回か取り上げている。
上の名前は生年順に並べたのだが、年齢が近いウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイの3人はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの同窓で、英国絵画の革新を標榜して「Pre-Raphaelite Brotherhood」を結成した仲である。ミレイの初期の作品に「オーフィリア」があるが、このモデルの女性は後にロセッティの妻となるリジー・シダルだ。リジーは結婚2年後に精神安定剤の過剰摂取により32歳で亡くなってしまう。ロセッティの作品「ベアタ・ベアトリクス」は彼女の死を表現したものだそうだ。つまり「オーフィリア」と「ベアタ・ベアトリクス」のモデルは同一人物である。ロセッティには「プロセルピナ」という作品もあり、こちらのモデルがジェイン・モリス。今で言うデザイナーであったウィリアム・モリスの妻である。ロセッティとジェインは恋愛関係にあったようなのだが、時既に、ロセッティはリジーと婚約していたので、ジェインはモリスの求愛に応じたということらしい。リジーが精神安定剤を常用するようになった背景には、そうした夫の気持ちに関わる事情もあったかもしれないと言われている。
実は、今日、「オーフィリア」の絵の背景とされている小川を見に行って来た。場所は、Waterloo駅からSouth West Trainsで30分ほどのところにあるEwellという町だ。今ではごくありふれたロンドン郊外の品のいい住宅街だが、線路沿いに少しロンドン方面へ戻ったところにHogsmill Riverが流れていて、その周辺が緑地となっている。この川が絵の川だ。今でも水がきれいで、それらしい雰囲気は残っている。1851年の6月から11月にかけてミレイはここの風景を徹底的に描いた。一日かけてコイン1枚ほどの大きさを仕上げるのが精一杯だったと、後年、画家自身が語っている。実物を見ればその言葉が納得できるが、写真のように精緻な絵だ。そうやって描いた背景に人物像を加えたのだそうだ。もちろん、リジーに川のなかに入ってもらったっわけではなく、バスタブに浸かってポーズをとってもらったという。
もともと絵画の芸術性の要素のひとつに、写実性というものがあった。今では写真があるので、この部分は後退したが、未だ見ぬ世界を再現するというのは、かつてはそれ自体が芸術だったのである。しかし、ミレイの写実性は、芸術性の追求としてのそれではなく、彼あるいは彼が対象としていた顧客層が持っていた価値観にある。それは勤勉であり、現実をありのままに表現するという科学性でもあった。毎日こつこつと小川の風景を丹念に描き続けるというのは、勤勉と科学なのである。
その勤勉とか科学性という価値観は、当時、英国の発展を牽引していた中産階級のものである。それ以前に絵画をはじめとする美術品の需要者は人文主義的教養に重きを置く貴族である。つまり、英国絵画の歴史のなかで、ミレイたちが大きな位置を占めるに至った背景には、この国における中産階級の勃興があり、さらにその背景には産業革命に象徴される科学技術の発達があったということなのである。ちなみに、ダーウィンが「進化論」を発表したのが1859年11月24日。ミレイが毎日のようにHogsmill Riverを描いていた8年後のことだ。
今の自分自身の生活と、その礎である科学技術の発達と、それを支えた新興中産階級の価値観とが、目の前を流れる小川に集約されて見えた。寒いが穏やかに晴れた日だった。そろそろロンドンでの生活の総まとめである。