熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ここはどこ

2010年11月13日 | Weblog
昨夜の山手線のように混雑しているとあまり感じないのだが、普段の平日深夜の車内は、印象として乗客の半分は非日本人だ。あくまで感触としてだが、非日本人の過半は中国語で会話をしている。中国語については1年弱ほどベルリッツで個人レッスンを受けただけで会話など成り立つレベルではないが、耳に入る言語がそれであることはわかる。仕事の関係で3ヶ月に一回程度の割合で台湾に出張していたので、街中での会話がある程度できるようにと、当時の勤務先の近所にあったベルリッツに通っていたのである。

何度も書いているように、マスメディアとは縁遠い生活を送っているので、最近話題の尖閣問題についてもネット上で報じられている程度のことしか知らないのだが、傍観者の立場でそうした報道を小説を読むようなつもりで眺めていると、政権中枢にいる例えば官房長官のような立場の人が中国のスパイのように見える。問題の事件を記録した映像があるのなら、それを公開したほうが事実関係の解明には有効だと考えるのは自然なことだろう。これまで公開していないということは、事実関係など解明するべきではない、解明されると困る、と考える人たちが政府として意思決定を下す立場の人たちのなかに複数存在するということだろう。

さらに、こうした問題が生じてみて改めて奇怪に感じられるのは、中国大使が民間人であることだ。外交というのは職人的な仕事だと思う。役所なのだから当然に所謂「お役所仕事」的なものもあるだろうが、個人の関係でも何かと厄介なことが少なくないのに、まして様々な利害や権益が絡む国家間の関係を維持保全するには、一般人の想像もつかないような玄人的なことがいくらでもあるはずだ。日本屈指の大企業で社長や会長を務めたとは言っても、所詮は勤め人である。そういう人に玄人集団を統率しながら外交官として機能することを期待することが果たして可能なのだろうか、というのが素朴に疑問だった。日中国交正常化以来、初めて民間人が中国大使に任命されるという、当時のメディアの表現を使えば「異例の人事」は、今から思えば在中国日本大使館の機能を抑制するという、民主党政権の意志表示のように思える。

政権内に外部勢力の影響があると認識されれば、それに対抗する動きも当然にあるはずだ。例えば公安は確実に何らかの対抗措置を講じているだろう。今回、画像流出事故が発生し神戸海上保安部の職員が「自首」しているが、恐らく彼は犯人ではないだろうし、犯人であるとしても単独犯ではないだろう。伝えられている「自首」に至るいきさつなどは、テレビドラマのようで、いかにも作り話風であるし、「自首」のタイミングも素直に了解しがたい。画像流出に関しての疑問点としては、流出画像が編集されたものであること、編集の目的、編集の当事者、編集版の入手経路、などいくらでもある。衝突時の画像は政府の限定された範囲内での公開であったはずのものなのに、「海上保安庁の職員なら誰でも観ることのできる状態」であるはずがないだろう。

尖閣問題はおそらく泥沼化するだろうし、画像流出の真相は明らかにはならないだろう。だからといって、中国との関係が緊張するということではなく、互いに目先の飯の種になることは粛々と継続していくことになるはずだ。それが互いの国益に合致しているだろうから。

ついでに言わせてもらえば、尖閣問題が起こったときに、仕分で名を馳せた民主党の女性議員が「領土問題なので、毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきで、感情論に陥るべきではない」と「領土問題」という表現を用いたのは、野党が批判したように「とんちんかん」であったわけでもなければ「勉強不足」であったのでもなく、そう確信しているからそう発言しただけなのではないかと思う。確かに日中間において尖閣諸島に領土問題が存在しないというのが日本政府の公式な立場である。しかし、日台間ではどうなのだろうか。1972年に日中が国交を回復した際に、台湾は中華人民共和国の台湾省ということになり、台湾政府とは断交したことになっている。このため日台間での尖閣諸島領有問題は形の上では自然消滅した。日本側からすれば「消滅」した問題でも、台湾側から同じ認識が得られているだろうか。

首都圏を走る通勤電車の車内の風景として、隣の大国の人々が当たり前に2割とか3割といった規模の占有率になっている。身の回りの品々を見れば、3割どころではない。衣料品で「Made in China」以外のものがどれほどあるだろうか。工業製品だって、例えばパソコンや携帯端末の基板は100%中国製だろうし、日本企業が得意とする電子部品も工場は海外という例が殆どだろう。自動車だって日産の「マーチ」がついに今年から全量海外生産となった。一般家庭の毎日の食卓に上る食品は、国産の農産物にこだわっているという人が少なくないかもしれないが、そういう人でも外食をしたときに口にしている食材まで気にしてはいないだろう。自分の家庭で消費するつもりで購入しているのが国産の農産物だとしても、その栽培に使われる農薬や肥料まで純国産ではあるまい。「産業の空洞化」ということが言われるようになって久しいが、もはや「空洞」ではない。「荒野」だ。尖閣問題の中国側からの報復であるかのようにレア・アースの禁輸措置が実施されているように見えるが、少なくとも日本にとっては報道されているほどに大きな問題とも思えない。それは、備蓄があるからというわけではなく、代替物質開発や代替生産方法への期待でもなく、そもそも需要が続くかどうか疑問だからだ。

そうした状況に追い討ちをかけるように、円高が進行しても対応策は政府としては皆無と言いえる有様で、仕分では科学技術の基礎研究予算が削られる。財政危機なのだから仕方が無いといえば、身も蓋も無いが、もはや手の施しようのない状態なのだろう。国家を有機体として捉えるなら、この国はもはや死に体に見えるだろうから、実際のところはどんな具合だろうかと、ちょっと酔ったふりでもして一石を投じてみる、というようなことは、なにも相手が中国でなくて、別の国だとしても、自然に考えるのではないだろうか。ロシアの大統領も北方領土へ足を伸ばしている。日本の政権運営は、そうした緊張感を強いられる状況下にあるはずなのだが、政治家は自分の保身しか頭にないようにしか見えず、国の将来像に対するヴィジョンなどは期待すべくもない。単に日常風景だけではなく、実質として国土が荒野になる日は、それほど遠い未来のことではないのかもしれない。