熊本熊的日常

日常生活についての雑記

八坂書房

2010年11月15日 | Weblog
文化の日に紙漉き職人の話を聴く会というのに参加して以来、紙のことが気になっている。美大に編入学したことでもあり、工芸のことはきちんと勉強したほうがよいのではないかとも思い、「レンブラントと和紙」という本を入手した。この本の出版社が八坂書房だ。本などそれほど読まない所為もあり、聞いたことのない出版社だと思い、どのような本を出しているのか調べてみた。なんとなく興味をそそられるものがあり、まずは「レンブラントと和紙」の帯に紹介されていた本を衝動的に発注してしまった。

読みもしないものを買ってもしょうがないのだが、出版不況と言われて久しく、気になった本はとりあえず手に入れておかないと、すぐに絶版になってしまう。そういう事情もあるので、衝動的とは言いながらもある程度は考えた上で購入を決めた。事実、帯にあった3冊のうち、1冊は入手不可能となっていた。

ちょっと硬めの本になると、この有様だというのに、電子書籍なるものが普及し始めたら大衆書ばかりが跋扈して、たいして売れない教養書は駆逐されてしまうのではないかと不安にに感じている。

仕事は繁忙期を過ぎたのだが、今日はたまたま帰り際に取り掛かった作業が長引いてしまい、タクシーで帰宅した。運転手との会話のなかで公安のことが話題になり、そこからSalman Rushdieの「The Satanic Verses」に話が及んだ。たいへんに話題になった本だが、今でも入手可能なのだろうか。私はこの原書のほうを持っている。まさに話題沸騰の頃、当時大学院生だった友人が学会で米国へ出かけたときに、土産だといって買ってきたのである。「熊本さん、こういうの好きでしょ」とかなんとか言いながら。どんなことが書いてあるのか興味が湧かないこともなかったが、まだ読んでいない。ハードカバーの厚い本である上に、英語版なので読もうという気すら起こらない。もうあれから20年になる。事件のほとぼりが冷めた頃に「どれどれ」と読んでみようかと思っていたが、冷めるどころか忘れかけていた。それが、今日になって不意に話題に上ったのである。この本の話題を振ってきたのは運転手のほうだったので、私が「あ、それ、私持ってますよ」と応じると、「えー、そりゃお宝ですよ」などと愛想を言う。読んでみるか。

それで八坂書房なのだが、八坂神社というのが京都にあるので、京都にある会社かと思ったら、都内だった。「レンブラントと和紙」は文字が大きめで図版も豊富なので、これは読めそうな気がする。発注して明日にも届く予定の「西洋職人図集」も「図集」というくらいだから読めるだろう。「フェルメール論」はどうだろうか。いずれにしても楽しみだ。

つながる

2010年11月14日 | Weblog
昨日は落語を聴いてきた。柳亭市馬と桂雀三郎の二人会。どちらも「歌う落語家」として有名だが、落語家の本分は余技ではなく、あくまで噺。その噺は、当然なのかもしれないが、師匠の影響を濃厚に受けるように思う。噺家によっては弟子に稽古をつけない人もいるらしいが、そういう師匠を持っていても何故か芸暦を重ねる毎に師匠に似てくることがある。

市馬の師匠である小さんの噺は、DVDでしか聴いたことがないので、こちらについては何も言えないのだが、雀三郎は枝雀を彷彿させるところがある。「夢の通り路」の船上での客のやりとりなどは、枝雀が演じる「高津の富」で富を待っている人たちの様子に通じるものを感じるし、全体として間が師匠譲りだと思う。

落語に限らず古典芸能や職人芸の多くは、人から人へ伝えられるものだ。マニュアルがあるわけではなく、観て聴いて真似して覚えていく。それは何故かといえば、芸というものは本来的に言語化できない要素を含んでいるからだ。言語化することによって伝達できるものというのは、誰でもできるということでもある。つまり、そこにたいした価値は無いのである。

人と人とが関係することの喜びというのは、結局、「うまく説明できないけれど、通じるもの、通じたものがある」という実感にあるのではないだろうか。よく耳にする「絆」とか「情」といったものの本当の意味は、そういう非言語要素を共有できたと実感できる関係のことだろう。それは一朝一夕に築くことのできるものではないのだが、時間をかけたからといって構築できるものでもない。芸に関して「才能」が無ければ、いくら時間や労苦を重ねてもものにならないように、人間関係も誰とでも構築できるものではないだろう。芸における「才能」と同じようなものが、人間関係の構築に際しても存在するように思う。だからこそ、根気強く試行錯誤を続けないことには、しっくりいく相手と容易に出会うことはないのだろう。

噺の場合、自分が好きな噺家は、舞台に出てきたときの収まりが良いように感じられる。収まりが良い噺家の噺は、始まる前からなんとなく好きになっている。これは、それこそ非言語的感覚だが、何事についても似たようなことがあるように思う。

演目

桂雀太 「道具屋」
柳亭市馬 「高砂や」
桂雀三郎 「三十石 夢の通り路」
(中入り)
柳亭市馬 「掛け取り」
桂雀三郎 「G&G」

開演 14時00分
閉演 16時30分

会場 日経ホール

ここはどこ

2010年11月13日 | Weblog
昨夜の山手線のように混雑しているとあまり感じないのだが、普段の平日深夜の車内は、印象として乗客の半分は非日本人だ。あくまで感触としてだが、非日本人の過半は中国語で会話をしている。中国語については1年弱ほどベルリッツで個人レッスンを受けただけで会話など成り立つレベルではないが、耳に入る言語がそれであることはわかる。仕事の関係で3ヶ月に一回程度の割合で台湾に出張していたので、街中での会話がある程度できるようにと、当時の勤務先の近所にあったベルリッツに通っていたのである。

何度も書いているように、マスメディアとは縁遠い生活を送っているので、最近話題の尖閣問題についてもネット上で報じられている程度のことしか知らないのだが、傍観者の立場でそうした報道を小説を読むようなつもりで眺めていると、政権中枢にいる例えば官房長官のような立場の人が中国のスパイのように見える。問題の事件を記録した映像があるのなら、それを公開したほうが事実関係の解明には有効だと考えるのは自然なことだろう。これまで公開していないということは、事実関係など解明するべきではない、解明されると困る、と考える人たちが政府として意思決定を下す立場の人たちのなかに複数存在するということだろう。

さらに、こうした問題が生じてみて改めて奇怪に感じられるのは、中国大使が民間人であることだ。外交というのは職人的な仕事だと思う。役所なのだから当然に所謂「お役所仕事」的なものもあるだろうが、個人の関係でも何かと厄介なことが少なくないのに、まして様々な利害や権益が絡む国家間の関係を維持保全するには、一般人の想像もつかないような玄人的なことがいくらでもあるはずだ。日本屈指の大企業で社長や会長を務めたとは言っても、所詮は勤め人である。そういう人に玄人集団を統率しながら外交官として機能することを期待することが果たして可能なのだろうか、というのが素朴に疑問だった。日中国交正常化以来、初めて民間人が中国大使に任命されるという、当時のメディアの表現を使えば「異例の人事」は、今から思えば在中国日本大使館の機能を抑制するという、民主党政権の意志表示のように思える。

政権内に外部勢力の影響があると認識されれば、それに対抗する動きも当然にあるはずだ。例えば公安は確実に何らかの対抗措置を講じているだろう。今回、画像流出事故が発生し神戸海上保安部の職員が「自首」しているが、恐らく彼は犯人ではないだろうし、犯人であるとしても単独犯ではないだろう。伝えられている「自首」に至るいきさつなどは、テレビドラマのようで、いかにも作り話風であるし、「自首」のタイミングも素直に了解しがたい。画像流出に関しての疑問点としては、流出画像が編集されたものであること、編集の目的、編集の当事者、編集版の入手経路、などいくらでもある。衝突時の画像は政府の限定された範囲内での公開であったはずのものなのに、「海上保安庁の職員なら誰でも観ることのできる状態」であるはずがないだろう。

尖閣問題はおそらく泥沼化するだろうし、画像流出の真相は明らかにはならないだろう。だからといって、中国との関係が緊張するということではなく、互いに目先の飯の種になることは粛々と継続していくことになるはずだ。それが互いの国益に合致しているだろうから。

ついでに言わせてもらえば、尖閣問題が起こったときに、仕分で名を馳せた民主党の女性議員が「領土問題なので、毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきで、感情論に陥るべきではない」と「領土問題」という表現を用いたのは、野党が批判したように「とんちんかん」であったわけでもなければ「勉強不足」であったのでもなく、そう確信しているからそう発言しただけなのではないかと思う。確かに日中間において尖閣諸島に領土問題が存在しないというのが日本政府の公式な立場である。しかし、日台間ではどうなのだろうか。1972年に日中が国交を回復した際に、台湾は中華人民共和国の台湾省ということになり、台湾政府とは断交したことになっている。このため日台間での尖閣諸島領有問題は形の上では自然消滅した。日本側からすれば「消滅」した問題でも、台湾側から同じ認識が得られているだろうか。

首都圏を走る通勤電車の車内の風景として、隣の大国の人々が当たり前に2割とか3割といった規模の占有率になっている。身の回りの品々を見れば、3割どころではない。衣料品で「Made in China」以外のものがどれほどあるだろうか。工業製品だって、例えばパソコンや携帯端末の基板は100%中国製だろうし、日本企業が得意とする電子部品も工場は海外という例が殆どだろう。自動車だって日産の「マーチ」がついに今年から全量海外生産となった。一般家庭の毎日の食卓に上る食品は、国産の農産物にこだわっているという人が少なくないかもしれないが、そういう人でも外食をしたときに口にしている食材まで気にしてはいないだろう。自分の家庭で消費するつもりで購入しているのが国産の農産物だとしても、その栽培に使われる農薬や肥料まで純国産ではあるまい。「産業の空洞化」ということが言われるようになって久しいが、もはや「空洞」ではない。「荒野」だ。尖閣問題の中国側からの報復であるかのようにレア・アースの禁輸措置が実施されているように見えるが、少なくとも日本にとっては報道されているほどに大きな問題とも思えない。それは、備蓄があるからというわけではなく、代替物質開発や代替生産方法への期待でもなく、そもそも需要が続くかどうか疑問だからだ。

そうした状況に追い討ちをかけるように、円高が進行しても対応策は政府としては皆無と言いえる有様で、仕分では科学技術の基礎研究予算が削られる。財政危機なのだから仕方が無いといえば、身も蓋も無いが、もはや手の施しようのない状態なのだろう。国家を有機体として捉えるなら、この国はもはや死に体に見えるだろうから、実際のところはどんな具合だろうかと、ちょっと酔ったふりでもして一石を投じてみる、というようなことは、なにも相手が中国でなくて、別の国だとしても、自然に考えるのではないだろうか。ロシアの大統領も北方領土へ足を伸ばしている。日本の政権運営は、そうした緊張感を強いられる状況下にあるはずなのだが、政治家は自分の保身しか頭にないようにしか見えず、国の将来像に対するヴィジョンなどは期待すべくもない。単に日常風景だけではなく、実質として国土が荒野になる日は、それほど遠い未来のことではないのかもしれない。

行列のできるナントカ

2010年11月12日 | Weblog
人と知り合うということが楽しくて、なるべく既存の人間関係の延長にありながら、今まで行ったことのないところへ出かけるように心がけている。昨日は町内会長の紹介で知り合ったFINDのオーナーの岩崎さんを訪ね、個展の打ち合わせをさせていただいた。今日は菅野さんのAERO CONCEPTの新たな取り扱い店であるアスプルンドへ出かけて、初対面の店員さんと話をしてきた。

EBIS i-Mark Gateという駒沢通りに面した商業ビルの2階にその店はあるのだが、このビルは営業店舗があるのが2階だけで、他のフロアは空き店舗だ。通常、新しいビルは竣工時にテナントが埋まっている状態であるものなのだが、不景気とは言いながら、恵比寿・代官山地区の幹線道路沿いでこの状態というのは衝撃的だ。恵比寿駅からこのビルに至る途中で建設中のビルがあり、これもどのような状態で竣工するのか興味がある。

店のほうは個性豊かなインテリア類が並ぶ雰囲気の良い空間だ。AERO CONCEPTは入口すぐの店舗内の一等地に置かれている。売り物の新品よりも装飾として使われている菅野さんの私物の大型スーツケースのほうが存在感がある。新品を使い込むとどのような姿になるのかというイメージを表現するには上手い展示だと思う。ただ、使い方によって年季の入り方は違うので要注意だ。年季の入り方は生き方を反映する、というと大袈裟だろうか。しかし、モノが使い手の生活を、その背後にある生活観や哲学を反映するのは確かだろう。作り手の側からすれば、その製品にふさわしい使われ方をして欲しいと思うのは当然で、開店からしばらくは菅野さんが毎日のように店を訪れていたそうだ。

アスプルンドを後にして、大学の勉強で使う製図用具を調達するため新宿の世界堂へ行く。必要なものを一遍に揃えてしまうつもりで行ったのだが、製図板がそれなりの大きさで、「軽量」と謳いながらも3kgほどもあるので、今回は製図板以外のものを買い揃え、製図板は日を改めて買いに来ることにした。製図用の筆記具や製図器一式などを買い、ついでに先日、橙灯でお目にかかったカモ井加工紙の人が語っていた「mt」ブランドのマスキングテープを発見したので、試しに1つ買ってみた。いざ、支払を済ませようとすると、レジの前には長蛇の列。平日の午後だというのに、一体みんな何を買っているのだろうと不思議に思う。製図用品がある2階は紙や板などの品揃えも豊富で、私が木工で作った陶器の収納箱に使ったアクリル板もここで購入した。レジの列に並んで、レジから離れていく客を眺めていると、若い女性が巨大な平面物を抱えて行ったりする。あの板だか紙だかで何が出来上がるのだろうか、と好奇心が湧き上がる。しかし、ここで列を離れるわけにはいかない。平日の都心の大型店舗は年配客がやたらに多いのだが、この店に限っては若い人が多い。しかもこの混雑である。レジの行列は、並ぶ立場からすれば短いほうがありがたいが、眺める立場からすると長いほうが面白い。時間が許せば、店内の他のフロアも眺めてみたかったが、出勤時間になってしまったので店を後にした。

新宿三丁目から都営新宿線に乗り、神保町で三田線に乗り換えて大手町へ行く。今日は電話会議が予定されていたのだが、上司に別の会議の予定が入ってしまって、電話会議のほうは来週に延期となった。仕事は繁忙期を過ぎたのだが、今日は金曜日ということもあって、繁忙期の名残が感じられた。それでも定時で退社して深夜の山手線で住処へ戻る。金曜の夜の電車は他の曜日に比べると賑やかだ。わずかの違いだろうが、少し深夜の客が増えたような気がする。少なくとも酔客は増えている。金曜の深夜、駅のホームを歩くときは普段にも増して足元に気をつけないと嘔吐物を踏んづけてしまう。嘔吐物を見て思うのだが、食事をするときはよく噛んだほうがいい。そしてなによりも、自分の限度というものをわきまえて酒を飲んだほうがよい。せっかく腹に収めても、消化する前に吐き出してしまうのはもったいない。

塩一トン

2010年11月11日 | Weblog
昨日ブログを書いていて、須賀敦子のエッセイ「塩一トンの読書」を唐突に思い出した。

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」

須賀が、折に触れて姑から言われた言葉なのだそうだ。エッセイのなかでは、塩一トンを一緒に舐めるとは、いろいろな経験を共にする、というような意味で語られている。しかし、私は文字通り食を共にするという意味なのではないかと感じている。食事の場というのは、人となりがかなりはっきりと露出する、と私は思っている。一緒に食事をするということは五感を総動員した上にそれらを十二分に稼働させて、その上に第六感までも駆使して相手を認識することでもある。だから食事を共にして楽しい相手とは、交流が長く続くものだし、食事を共にするのが嫌な相手とは自然に疎遠になる。付き合いの深さを決める一番大きな要素は、どのようなものを美味しいと感じるかという感性を共有できるかどうかだと思う。それこそ塩加減に対する好みであるとか、素材の加工度合いについての嗜好だとか、頂くときの作法であるとか、作り手への感謝の意識とか、食を取り巻く諸々にその人の価値観が端的に表れると思っている。勿論、そこで感じることが相手のすべてではないので、結論はエッセイと同じく、ひとりの人間を理解するのは、どれほど時間をかけても理解しきれるものではない、というようなことに落ち着く。

人に限らず物事を知るというのは、塩を一トン舐めるくらいの気の遠くなるような時間をかけるつもりで付き合ってこそ、少しは相手のことがわかるような心持ちがするようになるということだろう。相手をわかる、と言えるような近さを意識するようになって、そこから心地良い関係を築くことができるようになるものだ。生活の現場の変化の度合いが大きいと、つい結論を急ぎたくなってしまうのだが、別に世間の変化に付き合う義理はないのである。直観も大切にしなければならないが、慌てて下した結論はたいていの場合はろくでもないことにつながる、というのが個人的な経験に基づく教訓だ。納得のいく結論を出すには、時間をかけていろいろなことを経験するよりほかに方法はないように思う。何か事を起こしてみれば、何かしら反応を得る。習慣に流されて何もしないというのは不毛だ。どれほど些細なことであっても「何か」を積み重ねることこそが生きることだと思う。一トンという量はともかくとして、塩は舐めてみるものだと思うし、舐め続けるものだと思う。

木目

2010年11月10日 | Weblog
木工では今日からミニ箱膳の製作に入った。食器類を収めて、流しの下の収納に収まる整理箱のようなものだ。

昨日ハンズで購入した杉板を抱えて住処を出る。厚さ14mm、幅150mm、長さ1,890mmの板を3枚重ねて梱包したものを抱えて巣鴨から高田馬場を経由して東村山まで電車で運ぶ。平日の朝9時台の電車は山手線でもそれほど混雑はしておらず、ましてや西武新宿線の下りはいわんをや、である。工房で開梱して、先生と木取りの相談をする。それにしても、杉板の木目が美しいと改めて思う。だいたいどこからどのパーツを取るということが決まると、板に切断のための目印となる線を鉛筆で引く。幅150mmなので電動マルノコでその線に沿って切断。切断したものに、ひとつひとつ基準面を出し、厚さを揃える。3枚の板のうち、芯材が混じっている1枚は歪みが大きく、最終的に9mm厚になる。芯の部分が景色にもなるのと、芯の部分は耐水性に優れているという理由から天板と底板に使う。他は13mm厚となり、これらは側板に使う。厚さが決まったところで、改めて図面を引きなおす。図面といってもメモのようなものだが、先月入学した大学での履修科目に「図法製図」というのがあるので、今回からはきちんとした図面を引くことにする。結局、今日はここで作業終了。来週は板を継いで部品を完成させ、できればそれらを組み立てるところまで進めたい。図面のほうは、来週までにきちんとしたものを自分で引く。

今日は東村山発12時21分の快速急行西武新宿行きに間に合ったので、普段より少し早めに巣鴨に着く。快速急行は東村山を出ると高田馬場までの間に田無にしか停車しない。天気が良かった所為もあり、停車駅が少なく移動が単調に感じられる所為もあり、車内で座席に着いている人の殆どがまどろんでいる。快急快眠。

巣鴨に着くと、住処へ戻る前にcha ba naに寄ってビルマそーめんを頂く。魚介系の出汁をベースにしたスープなのだが、単に美味しいというのではなく、身体が喜ぶような、ほっとする味だ。

住処に戻ると片付けものを済まし、洗濯物にアイロンをかける。アイロンをかけたものを畳んで箪笥に仕舞って、というようなことをしているうちに出勤時間になる。

先日、菅野さんからメールをいただき、今日の日経流通新聞に菅野さんの記事が出るとの連絡を頂いた。職場に着くと、連携先の部署の要員交代時間が午後7時なので、その交代前に済ませておきたいものを一気に片付けなければならない。また、午後6時から7時にかけては作業が比較的多く発生する時間帯でもある。そういう時間が過ぎて一段落したところで、流通業界を担当している同僚のところへ行って、新聞を見せてもらう。裏表紙にあたる16面をほぼ丸々使った大きな記事だ。記事に紹介されている菅野さんの言葉は、彼がいつも言っていることで、事業の新たな展開もメールで読んで知っていることなので、私にとっては既知のことの確認でしかない。それでも自分の好きな人が好意的な記事に大きく取り上げられるのは、我がことのように嬉しいものだ。何が好きかと言えば、
「売ろうと思っても無理。自分がとことん好きで作ったモノが一番人の心を打つ」
という美意識だ。

市場社会に生きていると、物事は全て金銭という尺度で表現されるので、それがあくまで便宜的なものだということを忘れて、目先の銭金ばかりが注目される。世の中に流通しているモノの多くは日々工夫を重ねて変化しているが、工夫の目的は「いかに安く作るか」あるいは「いかに儲けるか」という意識ばかりが先行しているように思えてならない。「いかに使う人に喜んでもらうか」と考えて作られているものがどれほどあるだろうか。「一番人の心を打つ」ものを作ろうとしている人がどれほどいるだろうか。消費蕩尽のためのものではなく、一緒に生きるものが私は欲しい。

汗だく

2010年11月09日 | Weblog
陶芸で、そろそろ装飾技法もいろいろ試してみたほうがよいのではないか、と先生からの助言があり、さっそく成形したばかりの皿と鉢に化粧を施す。茶碗のように垂直方向に造形されたものは内外両側に化粧を施すことができるが、皿のように水平方向に造形したものは形状が不安定なので、内側だけに施すのだそうだ。外側にも化粧をすると、化粧の水分で形状が保持できなくなってしまったり、割れてしまったりするのだという。化粧は、まだ紐作りで作っていた頃に、一度だけコーヒーカップに施し、掻き落としで鯉を描いたことがある。今回は単純に化粧水をかけるだけにする。この後、素焼きをして、さらに施釉をすることになる。久しぶりの化粧だったので、皿のほうは先生にかけて頂く。それを参考に鉢は自分でかける。手に汗、というと大袈裟だが、慣れないことに挑むのは、どのようなことであれ、緊張を伴うものだ。

陶芸の後、無印に寄って、注文しておいた浄水器の内容器を受領する。飲料水や料理に使う水は溜め置き式の浄水器の水を使っている。無印良品製で、この春にカートリッジの仕様が変更になった。カートリッジを据え付ける内容器が変更前後で互換性がない。旧カートリッジの買い置きがなくなりそうになってきたので、こうして内容器を準備することになった。製品開発には旧製品との互換性も考慮して欲しいものだが、コストを抑えようとすれば互換性を犠牲にしなければならない事情も理解できる。内容器の交換で新旧継続させるというのが妥協策ということなのだろう。ちなみに内容器は税込み500円で、カートリッジは新型が1,200円で旧型よりも700円安くなった。新旧とも日本製だが、旧型のほうは製造者の表示が無い。新型は三菱レイヨン・クリンスイ株式会社とある。

無印を出て、東急ハンズへ向かう。今度、木工では茶碗類を収納する箱膳のようなものを杉板で作るつもりでいる。その杉板を買うのである。木材料は郊外のホームセンターに行けばハンズや都心型のホームセンターよりは安く入手できるのかもしれないが、郊外店舗は車がないと行きにくい。木を調達するためだけにレンタカーを使うのもおかしなことだし、今回のところは木とサンドペーパー以外に買うものがないので、多少割高でもハンズを利用するのが現実的だ。品質もハンズのほうがホームセンターよりは心持ち良い気がする。

ちなみに、今日購入したサンドペーパーは1500番と2000番の耐水ペーパー。底に皹が走っている陶器を金継で補修しようとしているのだが、はみ出した漆を落とすのに、こうした目の微細なサンドペーパーを使うのである。

さすがに都心店舗では大きなサイズの杉板は置いてないので、幅15センチのものを継いで使うことになる。それでも、なかなかきれいな木目の板が手に入った。これを梱包してもらって、抱えて住処へ戻る。今日は少し気温が高めだったので、汗だくになる。JRの駅のほうは人通りが多いので、大きな荷物を抱えての通行は避け、都電に乗って帰ることにする。平日昼間でも空いてはいない。庚申塚で下車し、駅に面している甘味屋で御萩でも食べてから帰ろうかと思ったが、店内が混雑していたのでそのまま帰る。

杉板は梱包を解かず、このまま明日、木工に持参する。シャワーを浴びて汗を流し、一服してから出勤する。

無謀諸々

2010年11月08日 | Weblog
このところ無謀なことを重ねているような気がする。大学の通信課程に入学したが、送られてきた教材を見て途方に暮れてみたり、陶芸の個展を開こうとギャラリーを予約してしまったり。

宅配便で届いた教材の箱はA4のコピー用紙が入っているのと同じくらいの大きさだ。そこに教科書と学習指導書という学習の進め方とか課題が書かれた小冊子の束が収まっている。闇雲に手をつければよいというものではなく、ある科目を履修するのに予め履修しておかなければならないものがあり、そういう順序を押さえておかないといけない。3年編入なのでその前後関係であるはずのものを同時履修しなければならないことがある。とりあえず、ひとつひとつざっと目を通して、学習計画を立てなければならない。実質的な課程の期間は4月始まりの2月修了なので、10月入学のアドバンテージで少し時間に余裕がある。とはいえ、ぼやぼやしていると、あっという間に4月になって慌てることになってしまう。

まだ全科目の学習指導書に目を通し終わっていないのだが、課題のなかにはフィールドワークを要求しているものもある。そうした課題については以下のような注意書きがあったりする。

「調査は人に怪しまれないよう、あまり目立たずすみやかにおこなう。」

私の場合は、何をしても怪しく見えるような気がするのだが、拘置所にでも入れられたらどうしたらよいだろう。そんな不安が頭をもたげると、追い討ちをかけるように次のような文言が目に入る。

「通信では受講生個々人の行動を管理・監督できないため、問題が発生しても責任を負えない。」

いよいよ不安になる。注意書きは次の言葉で締められている。

「野外調査での服装は、活動的で身軽なものを。」

要するに、いざとなったら逃げろ、ということらしい。今履いているスニーカーがかなりくたびれてきたので、買い替えないといけないかもしれない。忘れてはいけないのは足腰を鍛えることだ。今日は出勤前に近所のプールに出かけて2,500m泳いだ。

ところで、陶芸の個展を開くという話だが、町内会長推薦の十条のFINDに予約を入れた。来年1月中旬に1週間の予定だ。個展などというものを開いたことがないので、これから一体何をどうしたらよいのか、やはり途方に暮れている。

困ったときは、取り敢えず笑え、と誰かが言っていた、かな。

こけら落とし

2010年11月07日 | Weblog
コレド室町のオープン記念でいろいろ催事があるらしいが、そのひとつが「志の輔らくご」だ。東急日本橋店の跡地にコレド日本橋が建っているが、「室町」は「コレド」ブランド2つめのビルだ。「室町」内にある日本橋三井ホールの杮落とし公演でもあるためか、志の輔のマクラは「コレド」の由来で始まった。

このマクラで初めて知ったのだが、「コレド」とは「CORE」と「EDO」を合わせた造語だそうだ。「江戸の中心」というようなことらしい。なんのことはない、よくあちこちにある「なんとかセンタービル」の言い方を変えただけのことだ。「江戸」と言えば、粋であって欲しいものだが、なんとも野暮な名前をつけるものだと呆れてしまう。それほど真ん中とか中心であることに価値があるのだろうか。このビルは三井不動産のものだというので、野暮であるのもなんとなく納得してしまう。

さて、落語のほうだが、志の輔はおそらく今一番油が乗っている噺家のひとりではないだろうか。なかなかチケットが取れないので、まとまって聴くのは何年か前にパルコの「志の輔らくご」を聴いて以来だ。ちょっとしたものは8月のShimokita Voiceで聴いた。それにしても、面白かった。落語というのは、原則として既に知っている噺を聴く芸能である。その噺を語ることで聴衆を笑わせたり泣かせたりするのだから、それは芸以外の何物でもないだろう。よく「間」ということについていろいろ語られるのだが、それは芸のなかの一部でしかないと思う。同じ噺が、何故、話し手によって全く違った印象で伝わるのか、いつも不思議に思いながら落語会に足を運んでいる。

演目
立川志の春 「つる」
立川志の輔 「猿後家」
(中入り)
伝の会(杵屋邦寿・松永鉄九郎)長唄三味線
立川志の輔 「ねずみ」
 
開演 13時00分
閉演 15時40分

会場 日本橋三井ホール

赤面

2010年11月06日 | Weblog
今週号のAERAに「いきものがかり」が紹介されていて、その記事を読んだらどんな音楽をする人たちなのか興味が湧いた。それでAmazonでDVDを注文して観てみた。

理想としては、バンドを聴くのはライブがよいのだが、行こうと思ってすぐに行くことができるわけでもないので、DVDを観ることにしている。クラッシクならともかく、バンドはライブ感とか見た目も大きな構成要素だと思うのである。演奏風景が想像できるようになったら、CDでも良いと思っている。そういうわけで初めて聴くバンドはDVDを入手することにしている。

いきものがかりはとても良い音楽だとは思うのだが、私には純粋すぎて、聴いていて思わず赤面してしまう。と同時に、こういう音楽が支持されることに、この国の健全性を垣間見る思いがする。AERAの記事でリーダーが、歌い継がれる音楽を作りたい、と語っていたが、その言葉の通り、描かれている世界観がおとぎ話のようなわかりやすさと取っ付きの良さを持っている。音楽が人の気持ちを変えることがあると思うのだが、そういう力強さを持った前向きな歌詞と直球勝負のような音楽だと思う。ただ、自分は彼等の曲で描かれているような世界観を共有することはできそうにないような気がする。それは、そうしたわかりやすい世界観を素直に受け取るには、どうしょうもない経験を重ねすぎてしまった所為もあるかもしれないが、仮に時間を逆回転させて彼等と同じ年代に戻ったとしても、少し無理かもしれない。

ところで、DVDの副音声でのメンバー間の会話に路上ライブ時代のことが登場する。ライブを始める前に「うるさい」というクレームが出て撤収させられたりしたというのである。今、彼等の音楽をライブで聴こうとすれば、そこそこの金額を払って会場に行かなければならない。ある音楽が、人によって心地よく聞こえたり、騒音にしか感じられなかったりするのは仕方のないことだ。しかし、有名だから耳を傾け、路上ライブだから排除する、というのは人間としては寂しいことのように思う。世評とか先入観を排して、あるものをあるがままに受け入れるというのは容易なことではないし、ましてや批評眼を持つことは誰にでもできることではない。それでもせめて、自分が暮らす町の街角から世の中へ飛躍していく人たちを応援しよう、応援まではしなくとも、見守ってみよう、というような気持ちの余裕は、文化を持つ人間としては大切にしたいものだ。

狼煙

2010年11月05日 | Weblog
先週の金曜に橙灯で町内会長と話し込んだときに、陶芸の個展を開きたいというようなことを口走った。会長はカフェマニアで、いくつかギャラリー・カフェが思い浮かんだらしく、昨日、ハニービーンズ経由で十条のFINDという店を推薦してきた。さっそく今日、ハニービーンズに託してあったFINDのチラシを受け取りに行き、出勤前にその店を訪れた。

駅から徒歩5分ほどで、住宅街のなかに位置していながらもわかりやすい立地だ。もとアパートだった建物を改装してギャラリー・カフェにしたという。土地が旗地だが、アプローチには植栽が施され野外席も設けられていている。野外席の傍には炭が熾してしてあって、側を通過するだけで心地よい暖かさが伝わってくる。旗地であることで、かえってこうした心地よい空間を演出できている。木造二階建てで1階がカフェ、2階がギャラリーになっている。カフェの客席部分には窓が多く、2階に設けられている天窓から階段の空間を通して1階にまで外光が届いて、住宅密集地の旗地内の建物でありながら、室内は穏やかに明るい。

内装は古い道具類を巧みに組み合わせていて、建物の梁などを塗装する程度にとどめて、建物の古さを活かそうとするかのような印象だ。客席は4人がけのテーブルが3つと2人がけが1つ。落ち着くにはちょうどよい大きさではないだろうか。

店の人たちも感じがよく、深煎りのブレンドと手作りのシフォンケーキをいただいたのだが、どちらも美味しかった。

会長がお気に入りのカフェというのは、自転車で行くことができる範囲内で、しっかりとした仕事をしている店で、それでいながらあまり知られていないところ、なのだそうだ。店の人にギャラリーのことを尋ねる際に、会長からの紹介だと言うと、今日も私と入れ違いで来ていたという。今月は橙灯の休業日が多いので、こちらに流れてきているのか、橙灯にもこちらにも頻繁に出没しているのか、たまたま今週は連続してこの店を訪れたのか、そのあたりは今度お目にかかったときの話のネタにさせていただこうと思う。ちなみに会長の本拠地は茗荷谷だが、自転車といっても本格的なサイクリング用車両なので、行動範囲はかなり広い。

会長と知り合ったのは、8月の終わり頃にハニービーンズでたまたま一緒になり、羽入田さんに紹介してもらったのがきっかけだ。以来、彫刻のワークショップでご一緒させていただいたり、地元の落語会を一緒に聴きに行ったり、橙灯で出くわしたり、という具合で、会えば互いに話好きなので長話を交わす。話題に困ることがなく、時間が許せばいくらでも話をしていられる相手なので、知り合ってまだ2ヶ月ほどだが良い縁に恵まれたと、少なくとも私は喜んでいる。

ところが、会長と会うのは偶然頼みに近い状態だ。今回、FINDのチラシの受け渡すのも、前にコーヒー豆のおすそ分けを頂いたときも、ハニービーンズ経由なのである。携帯の番号とかメルアドを交換すればよさそうなものだと思われるかもしれないが、こういうアナログのつながりというのも面白いと思っている。別に意識をして直接連絡を取り合わないわけではなく、そういう流れになればその流れに従うだけのことだ。ただ、狼煙を上げ合うように、人伝や偶然を頼りに交際を結ぶほうが、人間関係としては健全であるようにも思う。偶然に出会うということは、互いに素の状態であるわけで、そうした状態で交流できる相手というのは見つけようと思って見つけることができるものではない。勿論、電話やメールを交し合う関係も、それはそれで大切にしなければならないとは思うが、多様な関係性を持つことで、自分の考え方というものにもそれだけ深みのようなものが出てくるのではないだろうか。

伝統工芸考

2010年11月04日 | Weblog
誤解があるといけないので、ここではっきりとさせておきたいのだが、私は闇雲に伝統を守るべきだとは考えていない。時間の経過と共に、人間の営みの結果として自然に蓄積され展開していく知識や技術があり、一方でそうしたものに駆逐されていくものもある。そうした変化が歴史を紡いでいくものだと思う。もし、和紙が同程度の品質を伝統的な手法によるよりも簡便かつ安価に制作できるなら、そのほうが社会には有益だろう。残すのも守るのも人間のすることであり、結果がどうあれ、伝統の取捨選択は我々自身の意思決定に拠るのである。

技術というものは、そこに暮らす人々の生活にとって有益であるべきだと思う。「有益」というのは、単に便利になるということではなしに、喜びとか安堵感をもたらすという意味だ。伝統というものを守ることで、作り手も使い手も苦痛を味わうというなら、果たしてそうした伝統を守る意味はあるだろうか。

和紙を伝統的な技法と原材料とによって制作するのは所謂「伝統工芸」である。こうした分野については「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」という法律もある。これによれば、「伝統的」とは、「工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品」という意味なのだそうだ。平成21年4月現在、この法律に基づいて経済産業大臣が指定する「伝統的工芸品」は全国に211品目あるという。(財団法人 伝統的工芸品産業振興協会のウエッブサイト参照)

この法律に基づいて振興の対象となる 「伝統的工芸品」とされるには、次の要件が必要と規定されている。

1.主として日常生活で使われるもの
2.製造過程の主要部分が手作り
3.伝統的技術または技法によって製造
4.伝統的に使用されてきた原材料
5.一定の地域で産地を形成

上記の要件のなかで「伝統的」の基準だが、原則として100年間変らぬ技法と原材料の使用とのことだ。学術研究の対象としてなら、技法や原材料の保存は重要だろうが、それと「日常生活」での使用とを両立させることは可能なのだろうか。身の回りの風景を見れば明らかなように、我々の生活の場はめまぐるしく変化している。変化のなかで営まれるのが「日常生活」だ。そこに100年変らぬものを持ち込むことは現実的なことなのだろうか。そのものが普遍的ともいえる美しさを備えていて、100年といわず1,000年でも伝えていきたいというようなものであったとしても、最大の現実的課題はコストだろう。例えば、伝統的工芸品で家財日用雑貨を揃えたら、果たしていくらかかるのか、ということだ。コストを構成するのは人件費と原材料費。人件費のほうは製品市場が自律的に決定するにしても、原材料は市場原理だけに依存するものではないだろう。和紙ならば楮やトロロアオイのような植物が使われる。これらを安定的に供給できる環境がなければ、生産はできないし、生産できなければ技術も継承できない。原材料の植物を守るのは農政であり、自然環境まで視野に入れるなら世界規模での環境対策だ。「コスト」と一言で表現されるものの背後には果てしない奥行きがある。そのものを巡る人々の哲学や世界観が反映されていると言ってもよいだろう。

本来、法律という国家が主体となって取り決めることは、その背景に国家としての世界観や政治哲学がなければならない。それは人の一世代を超えた長い時間を視野に置いて考えなければならない事柄なので、そうした実務を担う公務員は終身雇用を保証されているのであり、意思決定を担う政治家は選挙によって選ばれるのである。現実にそうした公務員像にふさわしい人間が公務員になっているのか、政治家像にふさわしい人間が政治家になっているのか、ということに関しては、私は知らない。

伝統的工芸品に関する法律が経済産業省の管轄になっているのは、それが文化というよりも産業政策や技術政策の一部を成すという認識が政府にあるということだ。「技術」という言葉に先端技術を連想する人は少なくないだろうが、最終製品やサービスとなって人々の生活に浸透する形態に至るには、先端技術だけではなく、基盤技術も伝統技術も当然に必要なのである。実際のものづくりの現場では、製品に使われる部材や治具が精密に作られていなければならないし、物性に応じた部材や道具の扱いは完成品の安定性に大いに関係する。精密かつ正確につくられたネジとか、ネジの材質とそのネジが留める対象物の材質との適切な組み合わせ、というようなことが基盤技術や伝統技術の範疇である。

新幹線に使用されている300系車両が運行を開始した頃、頻繁にトラブルが発生した。その一つに車両床下にモーターを取り付けているボルトが抜け落ちるというものがあったが、その主たる原因は、塗装後にボルトを締めたことで、ボルト穴とボルトの間に入り込んでいた塗料が乾燥して縮小し、隙間が生じたことによるものだった。ボルト締め付け前に塗装を施すというのは基盤技術の世界ではあり得ないことだそうだ。そのあり得ない工程が乗客の生命を預かる鉄道車両の製造過程に入り込むというのは、製造にかかわる人々の間で基盤技術が軽視あるいは無視されていることの現われだ。製造現場もそれを監督する立場の役所にも、技術というものが伝統的なものから先端に至るまで連続的に蓄積されたものの上に成り立っているという認識が無いから、このような失態を演じることになるのである。和紙の話がいきなり新幹線に飛躍したが、ものをつくるという行為の背景にある思想は同じだということを言いたかっただけだ。

伝統工芸というのは、決して単なる標本のようなものではない。その背景にある思想や哲学は人の生活のなかに連綿と続いている何事かを象徴しているものなのである。何事か、というものは個別要素に分解しきれるものではないので、伝統工芸を丸ごと保存することが、未来へ向けた科学技術の発展にも大きな意味がある。未来に対する意味があるということは、現在の我々の生活にはもっと大きな意味があるということだ。本当にそうなのかどうか知らないが、私はそのように考えている。

伝統工芸が消える意味

2010年11月03日 | Weblog
紙漉職人である川原隆邦氏のお話を聴く会に参加した。川原氏は富山県の蛭谷和紙を漉く唯一の職人だ。平成21年度の日本民藝館日本民藝協会賞を受賞するほどの腕前なのだが、現在休業しているのだという。正確には休業を余儀なくされている。川原氏のことは今回のワークショップの案内を頂くまで知らなかったのだが、ネットで検索するといろいろなところに取り上げられている。それでも、多くの人が注目した和紙職人は需要不足を理由に休業せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。そして、その状況を打開するべく、和紙という伝統工芸が置かれている危機的状況を語り歩いているのである。

「和紙」という言葉には明確な定義が無い。一般的には木の繊維で作る紙が和紙で、パルプをシート状に固めたものが洋紙というふうに使い分けられているようだ。物質の構造が違うので、そこにインクや墨を置いたときに、浸透の仕方に自ずと違いが出る。つまり、書いたり描いたりしたものの印象が紙によって違うということだ。それで、例えば版画や絵画の用紙として、海外でも和紙を好む作家が少なくないそうだ。有名どころを列挙してもレンブラント、ゴッホ、ピカソ、ダリといった作家たちが日本の和紙を愛用していたというのである。

和紙には独特の風合いがあり、手紙や葉書を書くのが好きな人たちの間では和紙の用紙に人気があるという。私も今年の暑中見舞い葉書を日本橋の小津和紙で調達したという話をこのブログに書いた。私の場合は悪筆なので、いくら紙に金をかけたところで、そこに込めた気合のようなものが相手に伝わることは稀だ。気持ちを込めるということを具体的に表現しようとすれば結果として費用と手間隙がかかるものなのである。自分がやりたいことがあれば、できる範囲で最大限に無理をする。それが自分なりの表現だと思っている。私のことはともかく、その小津和紙には何度も足を運んだが、そこにしばしば熱心に品物選びをする外国人の姿を目の当たりにする。何気なく近くに寄って、店員とのやり取りを聞いているのだが、印象としてはフランス語を話す人が多い。長い歴史と文化を持った民族どうしで美意識のなかに相通じるものがあるのだろうか。

歴史的に和紙は貴重品であった時代が長いのだが、その製法や材料は至ってシンプルだ。原材料は楮とか三椏といった木の樹皮を使うことが多いようだが、繊維があればよいので木なら何でも紙になるはずだ。事実、東南アジアやインドでは木の繊維を水に溶いたものを乾燥させただけの紙が多く作られていたという。楮は日本のどこの山にも自生していた木であり、海外でもよくあるそうだ。和紙の品質の高さをもたらすひとつの要が木の繊維をトロロアオイと混ぜて均質化させるという工程にあるのだそうだ。トロロアオイの根をつぶして水に浸けておくと水がゲル状になる。このゲルに木の繊維を溶くことで繊維が均等に分散するのだという。これで斑のない均等の厚さの紙になる。トロロアオイも日本の至るところに自生していた。道具類に特殊なものはなく、強いて挙げれば紙漉きに使う竹籤を編んだ簾のようなものが高価で、菊版と呼ばれる大きさのもので国産品が40万円程度、中国産でも5万円ほどだという。

川原氏は楮やトロロアオイの栽培から紙漉きまで、和紙の制作にかかわる全ての作業をひとりでこなすのである。それは1年中休みがないということでもある。そうやって生活のすべてを費やして作ったものに需要が無いのだという。これでは仕事にはならない。休業するのは当然のことなのである。

今、日本の伝統工芸は技能保持者の高齢化と後継者難という課題を抱えている。高齢化自体は火急の課題というわけではない。むしろ、高齢化によって技能保持者が生産物の販売に依存せず年金で暮らしを立てることができるという点で、技能の保存の時間稼ぎには都合が良いとさえ言える。川原氏は1981年生まれだ。彼の場合は作った和紙が売れなければ生活ができない。

何故、かつて和紙が当たり前のように作られていたのに、現在は作り手がいなくなってしまったのか。何故、かつて和紙作りを支えていた需要があったのに、今はなくなってしまったのか。大雑把な言い方をすれば、和紙よりも安い代替物が大量に流通しているからである。具体的には建材や手紙の用紙などの領域に顕著に見られることである。

かつての日本の家屋は「木と紙でできている」と形容されたものだ。襖の紙、障子紙、土壁の表面に薄い和紙が貼られることも少なくなかった。茶室には今でも和紙で腰張が施されている。しかし、今、和紙が建材に使われている家はどれほどあるだろうか。襖紙や障子紙も和紙の風合いを持った別の紙であることのほうが多いだろうし、そもそも襖や障子のある和室がある家が少なくなっている。手紙に至っては、一人年間何通書くだろうか。書いたことがないという人のほうが多いのではないだろうか。

生活様式が変化するということは、人々の生活観が変るということでもある。今月から年賀状の販売が始まったが、年賀状はもともと年賀の挨拶を欠礼する代用として使われたものだ。今でも正月に帰省する人は少なくないだろうが、かつての日本では事有る毎に他人様のお宅を訪れたものだ。だから、どこの家でも茶と茶菓子を常備し、常日頃から掃除や整理整頓を心がけ、いつでも客を迎えることができるようにしていたものなのである。年末の大掃除も、一年の穢れを祓うという精神的な意味合いと同時に、年始客を気持ちよく迎えようというもてなしの心の表現でもあった。それが、時代とともに挨拶が簡略化され、直接訪問せずに賀状で代用し、賀状が年賀葉書になり、メールになり、携帯で「あけおめ」になり、やがて無くなるのだろう。街行く人を見ていると、携帯端末で電話やメールをしている姿が目立つが、それは他人とつながっているからではなく、そういう「つながっているつもり」になっていないと不安でどうしようもないほど深い孤独に陥っているということではないのだろうか。精神疾患の罹患者が増えているのは、それまで病気とは看做されなかったことが病気であることにされるようになったという所為もあるだろうが、平均的な人間関係が健康な精神を維持できないほどに薄く狭くなっているという事情のほうが大きいのではないか。

伝統工芸を守ろうと立ち上がった青年が、その技能の優秀さを各界から証明されているにもかかわらず、作ったものに需要が無いとして仕事を諦めざるを得ない状況が語っていることは、彼の仕事の危機ではなく、我々の社会全体が存亡の危機に瀕しているということではないだろうか。

その社会で生きている一人として、私は何かをしたい。何ができるかわからないが、少なくとも自分の周りの人間関係はきちんと築き上げたい。ひとりひとりが同じようなことを考えるようになれば、世の中は微動くらいするのではないだろうか。暑中見舞いの反応があまりに悪いので、年賀状はやめようかと思っていたが、ここは辛抱強く和紙のはがきに手書きで一生懸命書くことに決めた。ずっと続けて、死ぬまでにひとりでもいいから、話の通じる人と出会えれば、それで良しとすることにする。

豚蓋

2010年11月02日 | Weblog
陶芸で作ったものの作品展でも開こうかという話をしたら、十条のリトルコを勧める人がいたので、どのような店なのか見にいこうかと思って、朝、住処を出た。陶芸教室で今日も一個挽きで皿を3枚挽いた。生憎、一個挽きに使う台板が無く、代わりに少し大きな板を使ったので、これまでとは勝手が違って少し苦労した。陶芸の後、ネットで注文しておいた本を受け取りに書店へ行き、無印で野暮用を済ませ、ロフトで「ほぼ日手帳」と落とし蓋を買っていたら、十条へ回る時間がなくなってしまった。ここは無理をせずに、住処へ戻り、遅めの昼食をとって、着替えてから出勤する。

先週、生協の宅配で南瓜を買った。北海道産のものらしいが、これを煮物にしようと思ったのである。煮るのに落し蓋があったほうが良いと考えた。落し蓋はアルミ箔を円形にして代用することもできるが、どうせならきちんとしたものを一つくらい持っていてもいいだろう。それで、いろいろなところで見かける豚の顔の姿をしたシリコン製のものを買うことにした。

さっそく南瓜を切って、この落し蓋を使って、砂糖と味醂と醤油で味付けをして煮てみた。一般にはこれに酒を加えるようだが、私が使っている味醂は「純米 本みりん」という古来のリキュールのようなものなので、酒の代わりにこの味醂を通常の倍使った。豚顔の落とし蓋の効果は殆ど無いのだろうが、とにかく美味しく出来た。

忘れてはいけないこと

2010年11月01日 | Weblog
今日は雑誌の取材を受けることになっていたので、普段よりかなり早く住処を出た。途中、郵便局に寄って「川崎病の子供をもつ親の会」の年会費を送金する。「親の会」の会計年度は10月1日から翌年9月末日なので、毎年この時期に年会費の案内が送られてくる。

川崎病というのは子供のいる人なら、その子が罹患しなくとも病名を聞いたことくらいはあるだろう。小児科の病気で、川崎富作先生が学会で発表されたことからこの病名がある。全身の血管が炎症を起こす病気で、冠動脈に障害が出た場合には、心筋梗塞を起こして亡くなることもある。また、冠動脈障害が後遺症として残ることもある。怖い病気なのだが、いまだに原因不明でしかも患者は年々増えている。殆どの場合は治癒するのだが、冠動脈障害が残る割合は10%程度と決して低くはない。私の子供は小学1年の冬にこの病気を発症し、1ヶ月ほど入院した。後遺症が残る可能性がある病気なので、なにかと不安なことが多かったのだが、入院先の病院で紹介された「親の会」に入会し、病気の勉強をさせていただいたり、相談に乗っていただいたりした。代表の浅井さんにはたいへんお世話になり、いくら感謝してもしきれないほどだ。何ができるというわけではないので、こうして会費を払い続け、少しでもこの病気の対策にお役に立てるようにと思っている。たいへん嬉しいことに、今年、「親の会」は第62回保健文化賞を受賞した。去る10月26日、浅井さんが賞の贈呈式に出席し、天皇皇后両陛下に拝謁してこられたそうだ。まっとうな努力を続けていると、見ている人はちゃんと見ていてくれるものなのだと思い、胸が熱くなる思いがした。きっと浅井さんのお嬢さんもあの世でお父さんたちの頑張りを祝福してくれているだろう。

郵便局の後は、ヤマト運輸の配送センターに寄って、アマゾンで売れた本をメール便で発送する。7月1日に雑誌が売れて以来、久々のマーケットプレイスでの商い成立だ。

取材を受ける予定のカフェには約束の時間よりも早く着いたので、同じビルのなかにあるロフトで来年の手帳を物色する。もう何年も「ほぼ日手帳」を使っているのだが、そろそろ気分転換に変えてみようかと思わないこともない。結局、今日は決まらず、取材場所へ向かった。

取材では、私の話に興味を持っていただいたようで、予定の時間を30分ほど超過し、1時間半ほどお話をさせていただいた。どのような記事になるのかわからないが、11月15日頃に店頭に並ぶ号に記事が掲載されるのだそうだ。