風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き水彩画グループ展の名称を『風の游子展』としている訳」

2019-06-05 06:31:14 | アート・文化

 名古屋市民ギャラリー栄で開いている水彩画仲間6人のグループ展「第12回風の游子(ゆうし)展」(9日まで)。お越しくださった方々から「個性的な絵だ」「優しさと力強さが同居している」など、さまざまなご批評を頂いていますが、毎回のように「風の游子とは、どういった訳ですか?」と質問されることがあります。
そこで、12年前に会を結成するにあたってメンバーで交わしたやりとりを振り返りながら、説明させていただきます。

「游子」「遊子」は、旅人を意味します。辞書には「他郷にある人」などもありますが、ここでは旅人を採用しました。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」とありますが、この遊子です。

また「人生は旅である」とも言われます。
子供・学生時代、仕事人時代、そして今の我々は年金暮らしといった旅程にある、というわけです。

生活や健康への不満、不安を抱えながら酒を食らい、声高に文句を言い、子どものようにはしゃぎ、歌い、恥をかき、気が向けば絵筆を取るといった他愛のない日々ですが。

「風の游子」としたのは、「我々は風の向くまま 気の向くまま」と気取ってみたのですが、もうひとつ理由があります。
メンバーは朝日カルチャーセンター名古屋の風景水彩画教室の生徒で、この教室独自に付けている名称が「KAZE」。そのなかで教室展とは別の発表の場を設けようとする有志の集まりだから「KAZEの有志→風の游子」というわけです。

「遊」をサンズイヘンが付いた「游」にしたのは、水を使う水彩画にはこの方が「いいね!」となりました。

 遊や游には「あちこち出歩く」とか「遊び暮らす」「楽しみにふける」という意味があり、遊歩とか遊行といった言葉に親しみを感じます。
しかし、これも度が過ぎれば「遊興」どころか「遊蕩(ゆうとう)」に・・・。注意しなければいけませんね。

ガッテンしていただけたでしょうか。