水彩画教室のスケッチ会で、江戸期の脇街道である美濃路(みのじ)の起宿(おこしじゅく=愛知県一宮市)へ出かけてきました。
美濃路は江戸・日本橋と京都・三条大橋間の旧東海道の宮宿(みやじゅく・熱田宿=名古屋市)と、内陸の街道だった旧中山道の垂井宿(たるいじゅく=岐阜県)を結ぶ脇街道でした。
起宿には、最大の難所である川幅が900㍍以上ある木曽川を渡るため3カ所に渡船場があり、将軍の上洛や参勤交代などにとっても交通・軍略上の要衝でした。朝鮮通信使が渡った時は270隻もの舟を浮かべ、その上に板を載せて川を渡ったと言われています。
愛知県指定文化財(史跡)の渡船場跡や宿場の建造物の多くは濃尾地震(1891年)で全壊しましたが、脇本陣や商家など当時をしのぶ建造物も見られました。
その1つは舟庄屋であり、年貢米の輸送や縞木綿を扱っていた湊屋文右衛門宅の主屋(おもや)。濃尾地震の倒壊から免れた屋敷の中を見学させてもらいました。脇本陣の旧林家住宅は地震後に建て直され3て民俗資料館になっており、こちらも屋敷の中を庭園とともに見学。
大明神社には、起宿の歴史の一端を見てきたであろう大イチョウやヤマガキも。大イチョウは幹周5.6m、樹高32m、推定樹齢380年。ヤマガキは平野部で野生、しかも大木は珍しく、目通り2.7m、樹高10mもあるそうです。
街道を歩いたり、木曽川の流れを目に一息ついたり。低気圧が接近する梅雨の晴れ間を楽しんできました。