リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

自分だけの信仰があってもいいよね

2019年06月24日 | 日々の風の吹くまま
6月23日(日曜日)。☁☁☂。相変わらず肌寒くて、バルコニーの隅の温度計は9時を過ぎてもやっと14度。ウォーキングはジーンズにジャケットの春爛漫の服装で、おとといから「夏」になったなんて、天気屋のたちの悪いジョークか、あるいはただの噂話じゃないのかって感じ。何たって近頃は「フェイクニュース」なる厄介なバイキンが蔓延しているらしいから・・・。

ウォーキングで6番ストリートを下って7番ストリートを上がって来るルートを取ると、途中に教会が5つか6つあって、日曜日の朝はどこもドアが開いている。北米でのキリスト教事情を反映してか、元からある教会に韓国からの新移民の教会が間借りしていることが多いのは、すぐ隣町のコクィットラムには韓国人が大勢住み着いているからだろうな。我が家の前オーナーもキリスト教徒で、初めて内見に来たときに真っ先に目に入ったのがリビングの壁にかかっていた十字架。今カレシの誕生日プレゼントとして特注で作ってもらったホームバーのキャビネットを置いてあるのがあの十字架があったコーナーで、棚の上に(どこだったか忘れたけど)イギリスの聖堂のギフトショップで見つけて買って来た魔よけのガーゴイルを置いてあるんだけど、神さまが呆れ返っていたりしてね。

   

ワタシはキリストが説いたアガペーの概念をワタシなりに解釈して信じているので、勝手にキリスト教徒のつもりでいるけど、組織的な宗教は好きじゃないから洗礼は受けていない。実家はごく普通に仏教/神道だったけど、教会付属の幼稚園に行って日曜学校で知らず知らずに感化されたらしいし、仮死状態で生まれたワタシを熱心なキリスト教徒の助産師さんが神様に祈りながら蘇生させてくれたという話を聞かされて来たもので、幼い頃からイエス様に親しみを感じていたのかもしれない。まあ、神様はいつでもどこでも常にワタシを見守ってくれていて、バカなことをやらかすたびに「ほんっとにしゃあないやっちゃなぁ、もう。ちっとはしっかり考えなあかんで、こらぁ」と頭を小突いてくれるお父さん的な存在だと思っているので、信仰と言えるのかどうか怪しいところ。

ただ何か目に見えない大きな力に守られていると言う感じはあって、だからこそ亡き父に言わせるとしょうのない甘ったれだったワタシが、(自分では平凡なものだと思っていたけど)けっこう紆余曲折の人生を落ちこぼれずにこの年まで生きて来れたんだと思っているんだけど・・・。