リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

夢を録画できたら再生してみる?

2019年06月03日 | 日々の風の吹くまま
6月2日(日曜日)。☀☀。よく眠れたようで、起床は8時半。カレシは夢の中で高いフェンスをよじ登ったり、鍵を落としたり、どこかに行って財布を忘れて来たことに気づいたりして慌てたらしい。「キミがフェンスの向こうにいたんだよね」。へえ、それでワタシは手助けしたの?「いや、見ていただけ」。あら、最愛の人が危急のときに何もしなかったなんて、何たる悪妻だこと。でも、行き先には一緒に行ったんでしょ?「いや、一緒じゃなかったような・・・」。あらら。さてはワタシを置いてけぼりにして1人で行っちゃったんだな、きっと。

まあ、世には夢占いなるものがあふれているけど、ものをなくしたと言っても、状況はいろいろだから占いのご託宣も千差万別。夢を見るのは脳がデフラグしているときだと思うから、様々なできごとや感情、心理状態を含めた雑多なデータを取捨選別する過程で、記憶の切れ端が絡み合って唐突な物語ができて、それが目覚めたときに「夢を見ていた」ということになるんじゃないかな。筋書きに脈絡がないことが多いので、「夢」はデフラグしてすっきりした記憶から断捨離されてしまうんだろうな。でも、楽しい夢はきれいに忘れてしまうのに、怖い夢や嫌な夢は覚めても心に残るのはどうしてかな。経験からすると強いストレスや悩み事が大きな要因だと思うけど、忘れないからこそ気になって意味を知りたくなるわけで、それで夢占いなんてものが生まれたのかもしれない。

ワタシにはちっとも怖くないのに今でもはっきり覚えている夢が2つある。どっちも15、6年くらい前で、今でも目をつぶると映像がニュースビデオのように鮮明に見えるから不思議。ひとつはどこかのスタジアムで満員の観衆が歓声を上げていて、ワタシはグランドのど真ん中でぐるぐる首を回してスタンドの光景を見ていて、大音声のアナウンスが何かワタシのことを言っているらしいけど、エコーがひどくて言葉が聞き取れない・・・というヘンな夢。もうひとつはもっとヘンな夢で、自分が後ろから襲われて殺されて、ワタシ、死んじゃったぁ、と倒れている自分を高いところから眺めていた。怖くも、痛くもなかったし、血も見えなかったし、肝心の犯人もイメージすらない。

あれは法的に今の名前に変えたあたりだったと思うから、何か心理的な意味があったのかもしれないけど、スタジアムのグラウンドで満員の観衆の歓声を聞いていたのは荒唐無稽としか言いようがないな。いったいどんなドエライことをやらかしたんだろうなぁ、ワタシ・・・。