起床時の気温は昨日とほぼ同じ。
今朝は雲、一つない
快晴の空となりました。
肌に当たる風は少々冷たくても
ピンと引き締まった空気と
澄み切った空は、何か元気を
貰えるような、そんな空。
ふとここまで記して・・
何と平凡でありきたりの
くだらない文章なのか・・。
ちょっぴり自己嫌悪。
『赤毛のアン』 のモンゴメリーは
言うに及ばず、昨日の小説の
冒頭部分にあるような描写は、
いくら捻っても私の頭では
浮かんで来ません。
さて、昨日は季節外れ、
リラの花咲く6月の描写でしたね。
性懲りもなく今日も彼女の
小説の冒頭の言葉から。
今日は冬の描写です。
昨日のコメントで、
Kohei さんからも 『氷点』 のそれを
ご紹介頂きましたが、
改めて感動しています。
(写真は今読んでいる『殉死』)
以前はこういう事には無頓着でしたし、視点が変われば又、新たな感動がありますね。
『赤毛のアン』 もそうですが、“再読の勧め” と言った処でしょうか。
それに登場人物の会話の美しい事!
『殉死』 を読み終えましたら、絶対に再読を・・と思っています。
折しも昨日の朝刊には、“教科書で 「天皇陛下」 を 「天皇」 と呼び捨て”との記事。
そう言えば最近テレビなどでも 「皇太子さま」、
「雅子さま」、「愛子さま」 の言葉が飛び交っています。
“さん”よりはましかも知れませんが、微かな違和感。
正確には「皇太子殿下」、「雅子妃殿下」、「愛子内親王」でしょう。
親しみを込めるために付けない・・という風潮があるそうですが、
敬称で呼んだからと言って親しみがなくなるというものでもないでしょうに。
日本には敬語という素晴らしい言葉がありますのに。
いつの頃からでしょう、敬語が軽視されるようになったのは・・。
しかも子供達の将来を担(にな)う教科書でも・・
と思うと、暗澹(あんたん)たる思いにさせられます。
ところで昨年も政治家の軽い言葉、発言が世間を賑わせましたね。
以前にも記しましたが、政治家やテレビコメンテーターが連発する
日本という国の “この国” 発言。どうして “わが国” と言えないのでしょう。
“国” を “子” に置き換えてみれば一目瞭然ですね。
“この子” と言うと、突き放した第三者的な冷たい言い方。
一方、“わが子” という言葉には温かな愛情を感じます。
日本を愛さない政治家が政治を司るなんて、
亡国の一途を辿るのは、当然かも知れません。