今朝も初めはおずおずと
顔を出した太陽。
南の空には三日月の有明の
月が美しい姿を見せ・・。
かと思えば風花も。
チラチラと舞い、寒い朝に。
ただ今日の太陽は、昨日ほど
気分屋さんではないようです。
日中は、この季節にしては暖かくなりました。
でも、これで平年並みかも知れません。
この処、かなり寒い日が続いていましたので、
少々感覚が狂っているかも知れませんから。
さて、冒頭の写真。
一昨日、動いたように感じたのは錯覚ではなかったようです。
ちょっと小振りですが、例の紅い薔薇、
リラ版 「公爵夫人の薔薇」 がやっと微笑んでくれました。
初めて蕾を確認してから一体、何カ月になるでしょう。
随分待たされましたが、さすが公爵夫人です。
スクッと背を伸ばし、凛とした佇まいは溢れるばかりの気品。
折しも昨日触れた 『塩狩峠』 の作品中の言葉が頭を過(よぎ)ります。
「花が咲く事も決して当たり前な事ではない」 ~本当にそうですね。
ましてや、いくら四季咲きと言っても冬に開花する難しさは身に沁みて感じてもいます。
(略)・・・ 信夫は深く頷いた。 頷きながら、自分が今日感じた 薔薇 の美しさを思い出していた。 この地上のありとあらゆるものに、 存在の意味があるように思えてならなかった。 (中略) 「・・・ この自分も又何らかの使命を帯びている 存在ではないかと、改めて考えさせられたよ。 花には花の存在価値があるんだな。 花を見て美しいと思い、不思議と思う心が 与えられているかどうかは、 やはり僕達にとっては大きな問題なんだろうね」 (中略) 「・・・ 死んでしまえば一切が無になる、 という考え方もあるだろう。 だが見るもの聞くもの全てに、自分の人格と 深い関わりを感じ取って生きて行く生き方も、 ある訳だからね」 三浦綾子作 「塩狩峠」 より |
上の会話は、『塩狩峠』 の中の主人公、信夫とその親友吉川の会話です。
何と思慮深い会話なのでしょう。哲学的ですらあります。
そうそう見つからなければ、もう1度買い求めようと思っていた、
『天北原野(上下)』 が見つかりました。
『泥流地帯』 と一緒に。楽しみが増えました。