『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

夏の花々

2018-07-09 07:50:00 | 季節
梅雨の晴れ間に
背嚢を背負って
散歩に出た。

休日の日課でもある。

濁川沿いの土手は
夏草が凄まじく繁茂していて、
1㍍進むのにも
地を這う頑健な茎が絡みついて、
フーフー息があがるほどだった。

短パン姿だから、
草剣で皮膚が裂かれ
血が出る箇所もある。

それでも
ワタシは進む
藪漕ぎの道はつづく

・・・なーんて、
脳内で自己満調、ナルっぽい
駄詩に酔いながら、
その実、
あーあ・・・ナニやってんだか・・・と
カンレキ馬鹿おやじ!!
と自嘲、自罵する
内言もある。

ʅ(-"-;)ʃ



そんでも・・・

藪ん中に
ひそむ
可憐な花あり
吾、邂逅す
君なり

ワタシヲミツケテ(人'∀'*)☆*:.。ヾ(♡θ♡)ノ~~☆ ミッケ~  

・・・なーんて、
ワケわからん古文調の
昭和歌謡みたいな
屁みたいな脳内独言を、
バッカじゃなかろーか、
と嘲笑する
セルフモニタリング者もいる。

┐(´Д`|||)┌

金光大阪高時代の同僚で
生物室に同居していた
田中先生(蜘蛛学博士)も
「ぼく。時々、独り言いうから、
気にせんとってなぁ・・・」
と仰っていた。

一緒にいて、
幾度かその独り言を
聞いたことがある。

あれも
観察・研究に没頭されていて
つい内言に応答されていたのかな
と思われる。

先生は、その後、
女子大教授に
キャリア・アップなされ、
今は定年退官されて
悠々自適の
研究生活を送っておられる。

学会で福島に来られた時には
旧交を温め、今も、
メールや年賀状での
音信のやりとりを
させて頂いている。





近所のお宅の塀越しに
ノウゼンカズラと
へクソカズラが
混在していて、
「屁糞」と命名された側は
なんとも気の毒なものだ、
と同情を禁じ得なかった。

ウィキに拠れば、
「ノウセウ(陵苕)」が訛って
「ノウゼン」となり、
古くは
「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた、
とあるが、
原義についての説明はなかった。

英語の
トランペット・フラワーの方が
よくわかりやすい。

夏の季語で、
子規の句がある

 家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな




西日本の大洪水による
災害を見ていて、
先日、海行きしたときの
防潮堤を思い出した。

松川裏沿いの
臨海道の一部は
海の眺めが
まったく遮断されて、
景観が損なわれ
息苦しさを感じた。

5mほどの防潮堤では、
3.11の15m級の大津波では
屁の突っ張りにもならないのだが。

***

100名以上の犠牲者を出した
今回の七夕豪雨だが、
民報各局の報道番組を見て
大いに違和感を感じた。

と言うのも、
なぜ、悲惨な光景や
悲しむべき人の姿に
BGMを施す必要があるのだろうか。

永らく視聴してきて
先日、見るのをやめた
『サンデーモーニング』にしても
然りである。

厳粛悲惨な光景に
長調のBGMと
協賛スポンサーのテロップを被せる。

これでは、
まさに『不幸ショー』ではないか。

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヤメローっ!!

その無神経さ、
無配慮さ、鈍感さは
唾棄すべき愚行である。

NHK以外の
他民報局においても
五十歩百歩である。

そして、
どの局でも一様に、
創始者の手法をパクッたのだろうが、
涙目や落涙のシーンを
わざと寄りのアップで映す。

そのあざとさに
辟易する。

これまた、
何処そこスポンサー様ご提供による
『不幸ショー』である。

かつて大宅某が
テレビの普及で
「一億総白痴化」
という際どい名言を吐いた。

今はスマホの普及が
まさにその言葉どおりであるが・・・。

テレビを全く見ないという事は、
その娯楽の恩恵に与ってきた
昭和世代としては
なかなか出来がたいが、
SOC理論に従って、
コンテンツを精選し、
録画を早送りして時短に努め、
PC情報と相補的に
活用することにしている。


我が師・碧水先生の
お歌にこうある。

 使ひ方に上手下手あり
 いのちの時間
 出来るだけ上手に使はねばと思ふ


 出来るだけ
  無駄のなきやう過ごしゆかん
 つづくいのちのわが持ち時間



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