『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

洒落た厠

2018-07-08 08:47:00 | 風景
昨日の法要では、
西日本水害と大阪震災で
亡くなられた御霊様たちの
供養も行われた。

昨日から、
我が家のご神前でも
御霊様たちの幽界での
お取立てと立ち行きを
お祈りさせて頂いた。

千葉で震度5の地震もあり、
久しぶりに
3.11の時に感じた
超巨大地震・長巨大津波・超規模原発事故
という「超複合災害」という
言葉を思い起こした。

「踏んだり蹴ったり」
「泣きっつらに蜂」
ということわざには、
人生には時として
思いもかけない
不条理な出来事が
重なって起こることがある、
という古人の経験則を
後世人への心得として伝えている。

今回の
線状降水帯による被害は
数十年に一度と
「特別軽快警報」が出されたが、
それでも100名近い犠牲者が出た。

アッという間に、
一気に広域に、
というのが災害特徴に見える。

ある意味、
巨大地震、巨大津波、原発事故が
いっぺんに襲った
3.11の構図にも似ている。

東南海大地震・大津波・大火災・
交通路寸断・都市機能の麻痺という
複合災害に備えよ、という、
ある意味、シュミレーションを
見せられているようにも感じた。



法要の席で
隣席した叔母も、
自分と同じヘバーデン結節で
指が曲がり、常時、
疼痛に悩まされていて、
同病相哀れむで、
おおいに共感しあい
盛り上がった。

ひと時の法要会食で、
駄弁に口角泡を飛ばしあって
「なんで、私たちだけ、
こんな目になったのか?」
という因果説の分析では、
祖母方の遺伝だという外因説と
自分たちの境遇性格が似ていて、
末っ子で甘えん坊で
わがままで口が悪いからだ・・・という、
内因説におちついた(笑)。

もっとも、
この変形性関節炎は
指を酷使するギタリストや
ピアニストには多く、
泣き所でもある。





棚倉への出勤途中で、
久しぶりに鏡石に寄って、
「田んぼアート」を見てきた。

ただ、平地からでは
全体像が把握できず、
古代米の稲の色が鮮明に違うのに
感心するばかりだった。

隣接する図書館3階の展望室が
鑑賞ポイントで、
いちどだけ直通エレベーターで
あがったことがある。

町おこし的イベントでもあり、
全体像の写メを撮ろうと
けっこうな人が
寄ってくるようでもある。







先日の海行きで、
はじめて寄った
霊山道の駅のトイレが
ユニークで面白かった。

便器がゆるやかな
弧を描いて配置され、
その奥には
青竹と和傘のオブジェが
設置されていて、
まことに用を足すに
雅な風趣があった(笑)。

上方落語に
「小便担桶(しょんべんたご)も百丁」
というフレーズがある。

つまり、
きちゃないものでも
ズラリと百丁も並ぶと
壮観で面白い
ということである。

外国人観光客が
来日すると
洋の東西を問わず、
まず空港や観光施設の
トイレの美しさに感激するという。

トイレは不浄な処であるがゆえに、
キレイにするというのが
日本人の美意識なのであり、
普段、学校で
小中学生が清掃の時間に
便器内までタワシで
ゴシゴシやっているのを見ると
なんだか感激することがある。

学校清掃は外部業者の仕事、
という欧米人には
この光景は信じがたいものに
映ることだろう。

***

最近読んだコラムに、
日本人は神棚も仏壇もなく
毎日お祈りをしない人がほとんどなのに、
どうしてこんなに
親切で正直で道徳的なのか
不思議である、と外国人の目には
映るらしい。

イスラム教徒は一日5回もの
拝礼をしているのに、
嘘はつくし、物は盗むし、
ずるいことはする、
というのである。

それは、
クリスチャンとて
同じかもしれないが。

フセイン政権が倒れた時だったか、
民衆がこぞって宮殿等に押し入って、
それこそタイヤだのチリ紙にいたるまで
収奪、略奪してきた様が
全世界に動画配信された。

それを見た日本人の子が、
やはり同様の疑問を抱いて
ネットに投稿したら、
それを恥じて
盗品を返却した人たちが
わずかにいたようだ。

オウム事件で殺害された坂本弁護士が
「人を幸福にしない宗教は
 本物の宗教ではない」
と言っていた。

げに尤もな事である。

「宗教者のための宗教」
ということがあったり、
「本質的な宗教性を
いちばん毀損しているのが
既成宗教である」
という現象が
至る処で見らていれる。

オウムのタントラ・ヴァジラヤーナ
とかいうマヤカシの邪教は、
世界人類のために
正当化される殺人があってもよい、
というものであった。

それは、
ユダヤ人はアーリア民族のために
抹殺すべきである、
というヒトラーの狂信と同じである。

ヒトラーは
独自の創造神を狂信していた
という説もあるが、
神戸連続児童殺傷事件のサカキバラも
独自のバモイドオキ神なるものを創りあげて、
殺害はその神に対する「聖なる儀式」である
と語っていた。

人の深層心理には
原始的宗教性へ傾倒する性質がある。

これを「ヌミノース親和性」と
『魂理学』では命名した。

ユング心理学では、
人間が根源的に持つ
「普遍的悪(コレクティヴ・シャドウ)」と
抑圧された劣等機能から分化した
「個人的悪(パーソナル・シャドウ)」があるという。

そして、教育心理学や臨床心理学では
子どもにとって家庭・社会という養育環境が
生育歴において重要であることを示唆している。

一方、サイコパスのような
脳神経生理学的な脆弱性と
行動障害を持つ病的一群が存在し、
時として高い知性を伴って
狂信的リーダーや教祖に
収まる事がある。

これらが、
複合的な自然災害と同様に、
ある人物の特異的個人要因として
複合化し目覚めると、
「悪魔」や「鬼」が
我われの現前に
実体化して現われるのである。

「聖なる自爆テロ」を実行すると
天国で100人の美人処女が
妻として待っている・・・という、
夢のような神話や物語に動かされて
貧困層や無教育層の若者たちが
至る処で妄信自殺の兵器に
仕立てられている。

その大元には
サイコ・デビルの存在と
洗脳・集団感応・ヒステリー
という病的精神現象がある。

このような
社会病理的現象や
個人・家庭に生じる
精神病理の解析や処方のためにも
「宗教臨床セミナー」を
今月から立ち上げた。














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