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周囲の死を乗り越えてきた者が生き延びる。
それが人生ということなのだと思います。
そして身近な死というのは忌むべきことではなく、人生の中で経験せざるを得ないことなのです。
それがあるほうが、人間、様々なことについて、もちろん自分についての理解も深まるのです。
だから死について考えることは大切なのです。
養老 孟司
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中村 加奈梨は、あと一勝すれば『鬼の三段リーグ』を突破して、晴れて「女流」棋士ではなく「女性」棋士となれる処まで勝ち上がってきた。
そして、決戦の最終日・・・。
加奈梨は夜が明ける頃、師匠と大師匠が眠る郊外の墓前に参った。
「カナリ先生。
いよいよ、今日が勝負の日です。
どうぞ、お見守り、お力添えください」
と、一心不乱に祈ると
「だいじょーぶだよ。カナちゃん・・・」
という、懐かしい声が心に響いた。
まだ、亡くなられてから幾日も経たないのに、懐かしくてたまらないその声に、加奈梨は泪が止まらなかった。
そして、いまだに
(なんで・・・。どうして・・・)
という、理不尽な師匠の夭逝が恨めしくてならなかった。
それは、まさに、神も仏もあるものか・・・と、思いたくなる、あってはならない事だった。
でも、ふと思った。
(わたしも、いずれは、死ぬんだ・・・。
でも、このパンデミックだけは、生き残らなきゃ。
大切な師匠を奪った、この憎っくき奴にだけは、どうしても負けたくない・・・)
と、加奈梨は「棋士」として「勝負師」として、そう思った。
すると、脳裏にまた、やさしい師匠の笑顔が浮かんだ。
カナリ先生が、ソータ師匠の肖像入りロケットを首にされていたように、自分もそれを真似た。
そして、師匠の揮毫した『和賀心』という扇子を持参した。
対局相手は、奨励会に15年在籍し、ここ8年ほど『三段リーグ』を突破できず、退会規定の26歳に達してしまった。
すなわち、この一戦に敗れれば、先輩の彼は「棋士」の道が断たれるのである。
それゆえに、自分の人生を懸けた一局であり、全人的に勝負に挑んでくるはずであった。
加奈梨にとっても、「永世八冠」の直弟子として、「悲運の天才棋士」の愛弟子として、その墓前に「花」を添える為にも、哀しみに沈む師匠の家族への「一灯」となる為にも、何として勝たねばならない一番であった。
ここを突破すれば、天才・藤野 桂成に次ぐ、二人目の「女性棋士」が棋界に誕生することになる。
世間も、女流棋士会も注目する、世紀の大一番であった。
「よし。行くぞ」
と、先手の加奈梨は、初手「8六歩」を指した。
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