『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

暇 爺

2018-10-26 07:27:00 | 風景
学校が試験期間で
連休している。

平日から
郊外をブラブラと
苔探しに勤しむ半隠遁者である。

閑職になって
一年目の去年は、
なんだか、社会から
置いていかれたような
『楢山節考』感で
居心地がイグなかったが、
今年は、現状を受け容れて、
まったり安楽な余生気分を
味わえている。

いずれ、
全くの隠居、隠遁生活になるので、
いまから少しずつ
馴れとこ、というもんである。

「クリエイティヴ・リタイアメント」
つまり「創造的引退」というのが
理想であるなぁ。

ファイナル・リサイタルは、
それへの花道かもしれない。

来月で早くも
公演半年前になるので、
いよいよオン・シーズンである。

歌曲伴奏の編曲完成と練習、
年末年始の阿部さんとの合わせ、
チラシ刷り、挨拶回り、グッズ製作…と、
<劇団ひとり>最後の非営利的活動である。

もう若くはない。
でも、まだ
老いさらばえたわけでもない。

「青春・朱夏・白秋・玄冬」
という人生の四季でいえば、
白秋の終わりに
もうひと花、咲かそう。

♪ はな~は、は~なは、
  花はさくぅ~ ♪ ♪( ´θ`)ノ




運動公園の
散歩道の地面に
カメラを直置きして
vanishing point(消失点)を
意識した。

縁石にこびりついた苔を
ちょっとだけ
頂いてきた。




「小人閑居して不善を為す」
というので、
暇をいいことに
無為に堕することのないよう、
毎日、家中の片付けをしている。

ホームに入居した
老母の部屋からは、
きのうだけで
ゴミ袋6杯にもなった。

80年分の
着物やらバッグやらが
山ほどあるので、
今日はそれらを
古物店に搬入するつもりである。

二束三文でも
捨てるよりは
セコハンとして誰かに
活用してもらった方がいい。

おそらく、
何十万以上もしたのであろうが、
本人以外には
まったく価値のないものである。

ついでに、
一角が物置化している
ご神前や、工房も
ちまちまと片付けている。

懐かしいアルバムが
出てきて、
大4のギター部定演での
「フラメンコ・アンサンブル」の
メンバー写真を
何十年ぶりかで見た。

アタリマエだが、
みんな若くて、
スマートだ(笑)。

自分以外の全員が
学校長になったので
すごいもんである。

真ん中のNとは、
現職のT中で
「校長」と「スクールカウンセラー」
として共に
教育に携わっているから
不思議な縁でもある。

A君とは今年の同級会で、
N君は今年のリサイタルで
会った。

この三人は
「52理科クラス」の
同級生であり、
物理学科だった三人を
生物学科の自分が
ギター部に引っ張ったのである。

一年下のTとは
学生時代来、
年賀状のやりとりは
続いているものの
40年近くあっていない。

後輩の中でもピカイチに
人間ができた男だったので、
リスペクトしていたほどである。





アルバムに交じって
在京中に作っていた
「ワイン」のスクラップ・ブックも
懐かしく眺めた。

近所の「やました酒店」の
若旦那ショーちゃんと仲良くなって、
学校帰りに一日おきに
立ち寄っては
ワイン談義に花を咲かせていた。

一年のおよそ半分として
150日×8年で
1200本以上は
当時飲んだことになる。

彼はその後、
ワイン・アドバイザーの資格を取った。

パリに新婚旅行に行った際には
ご祝儀と2万円を渡して
バースデイ・ヴィンテージを
買ってきてもらった。

<シャトー・グランピュイ・ラコスト>
の1957年は、
ポイヤック産の5級ながら
1990年頃のパリでも
2.5万もした。

叔母さん二人が
京都旅行で我が家に宿泊して
フレンチ・ディナーを
振舞ったときに抜栓したが、
残念ながら
グラン・ヴァン(特級/当り年)
でなかったので
中身は「死んで」いた。

ブショネ(コルク腐臭)はなく、
酸化もしていなかったが、
アルコール分が
半分以上抜けていて、
ただビロードのような
ドロリとした劣化ワインに
堕していた。

自分とどちらが成長しているか
勝負しようと期待していたが、
ガッカリするよりも
なんだか天寿を全うした
ヴァン・ルージュ(赤ワイン)を
“あはれ”に思った。

 おまえは  
  もふ
   死んだかや






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