62年前 わたしの父は静岡県の下田で玉音放送を聴きました。徴用された父は下田で松の根っこ堀りに従事していたのです。松の根を掘り油を絞る....資源の無い日本はそこまで追い詰められていました。 太平洋戦争を起こした目的は聖戦などではなく資源と土地の確保 亜細亜の盟主になることであったのでしょう。近年でも戦争の目的は変わりません。資源とそして宗教です。
結核を患った父は丙種の合格でした。戦争末期 装備だけでなく人員の大幅な磨耗に政府は年長者や年のいかない者や身体の万全でない者まで刈り出したのでした。父は最初から下田に配属されたわけではありません。訓練を受けたあと 船で南方に行くことになっていました。....ところが集合時間を間違えて 急ぎ船に向かうはしけの上で 煙を吐いて出航する船を見送ったのです。
南方に行かれた方々はほとんど戻ってはみえませんでした。水漬く屍 草むす屍となられました。戦闘でというより 病や栄養失調で亡くなられた方が多かったようです。遺族の書かれた手記を読みますと 戸を叩く音がした...とか 夢枕に立ったとか 御霊が遠く幾千里の海を越えて別れの挨拶にこられたという記述が多いことに驚かされます。
父の親友も戻ってはきませんでした。....父は天城越えをし徒歩で埼玉に帰り官吏に戻りました。県庁の焼け跡で片付けをする父の横顔の掲載された新聞を見せられた遠い記憶があります。....父は昭和23年 お見合いをし母と結婚し 二男二女をもうけました。....こうしてこの世に生まれた経緯 いきさつ...を思うとわたしはとても不思議な感じがするのです。そしてほんの少し 生を受けたことの重さ・負託を思うのです。
わたしは 語り手を天と地をつなぐ者だと感じています。天意をしろしめすこと....この天意とは一定の宗教のものではありません。あまねく宇宙意志といったらいいでしょうか....この宇宙意志にそれぞれの国でそれぞれの名前がつけられました。人格神としての神もあれば偉大なエナジーとしての捉え方もあります。....しかし一族の神と限定したとき 自らを選ばれしもの選ばれし民としたとき 戒律や規律に動かされるようになったとき 宗教は堕落してしまいました。我が教えのみを正しいと断じ 他者を苦しめることもいとわないものに変質してしまったのです。宗教の名における戦争という真の神の意に沿うはずのないことが起こるのはそのせいではないでしょうか。
しかしながら 宇宙意志は存在しますし 目に見えない世界は存在します。 そのメッセージ 楽しさ やさしさ 美 正義 喜び 犠牲 崇高 畏れ 障害を越えてゆく強さ 生と死 光と闇と再生をものがたりをとおして伝える それが語り手のひとつのやくわり だとわたしは思っています。 それとともに今は亡きひと ことばなきひと の代わりに語ることも語り手のやくわりであると感じています。
今日はお盆でもあります。亡きひとびとに想いを馳せましょう.....おとうさんお元気ですか...おさだおばちゃん...仁おばさん...お磯おばぁさん.お懐かしいです...一樹さん....あなたの娘は元気で今日わたしの元におりますよ...直弘 ねぇちゃんはこうしているよ あなたとの約束はまだ果たさずに...あなた.....わたしはまだ戦っております....おじいちゃん....わたしは充分に子どもに教育をしてやることができませんでした....わたしがいつかそちらにいくまで...どうか見守っていてください....わたしが為すべきことを為してゆけるように....
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