遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



........きのうM先生のところにレッスンに行きました。Yundi Liさんのピアノについて話しました。先生は「一音一音をたいせつにしているから響きがうつくしいのだ」というようなことをおっしゃいました。....そうか! とわたしは思いました。同じ幻想即興曲を素人の方が演奏しているのを聴くと音が濁っているのです。

   一音一音を粒だてるのは地道な日々の修練に身を捧げてはじめてできることなのです。先生の演奏の音色も一音一音がうつくしいです。わたしは恥ずかしく思いました。わたしはただ音を出しているだけ.....。それで進歩がないんですね。レッスンのたびに「やめます」と今日こそは言おうと決心してゆくのですが、先生から教わることはとても深くて、ほんとうにこの方だけは師だと思える、もうすこしがんばろうと思うのです。.......実はきのう叱られました。『どうして自分からやってみようとしないの、調律でも演奏でも、どうしてやってみてそれから「先生 これで どうですか?」って訊けないの?』

   わたしは返すことばがありませんでした。演奏は人間性そのものだ....と先生はおっしゃいました。語りもそうです....とわたしはいいました。困難...を越えれば、幸福しかない...というようなこともポツリ 帰り際におっしゃいました。困難を越えることを楽しめばいい...とわたしは思います。楽しむには重すぎる困難もあるけれど...。

   朝、尾崎豊のバラード を聴きました。美しい声....一音一音のひびきがなんてクリアーで煌いていることでしょう....そして情念にまかせてうたっているように見えて、歌が表現のうえでもみごとにひとつのストーリーとして構築されていることに驚きました。...わたしは今まで好きで聴いていながら気がつかなかったのです。以前にわたしたちが伝えたいものはことば..ではなくて....一音ではなくて....と書いたことがあります。それはそうなのですが、一音をことばをたいせつにすることで ものがたりはより耀くのかもしれないと思いました。

   .....ちいさな朝のひかりに......一音一音をたいせつにして歌ってみました。....するといつもよりくっきりと風景が見えてきたのです。




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