平安時代から広瀬と山陰街道をつないで出来た道。尼子一族の栄枯盛衰を見つめ、清水寺に詣でる人々を運んだ道。「広瀬・清水街道」は山陰の遥かな歴史を刻んでいる道。
中海に注ぐ飯梨川の上流、閑静なたたずまいを見せる広瀬町。「山陰の鎌倉」と呼ばれる広瀬町は、江戸時代初期までは「富田(とだ)」と呼ばれる城下町であった。
町の東に聳えるのは、戦国時代にこの地方の実力者としてゆうめいであった尼子一族の本拠、月山、天子一族といえば、中国地方の覇権をめぐり毛利との争いに明け暮れた勇猛な一族として知られている。
5月より咲いておる花「扉(とべら)」
開花時期は、 5/15頃~ 6/ 5頃。 ・「扉」と書いて、この花の場合”とべら”と読む。 2月の節分にこの木の枝を扉にはさんで邪鬼を 払う風習があったため、「とびらの木」と呼ばれて いたのがしだいに変化し略され「とべら」になった。 ・「海桐花」とも書く。漢名。 ・扉 写真集(写真8枚) もどうぞ。 ・葉っぱは固い楕円形で、外側に反り返る。 葉っぱを火にくべるとはぜて燃える(パチパチッ)。 ・芳香あり。 ・秋に赤い実をつける。実の中のタネの部分は ネバネバになっている。 鳥の好物らしい。(季節の花300より)
中海に注ぐ飯梨川の上流、閑静なたたずまいを見せる広瀬町。「山陰の鎌倉」と呼ばれる広瀬町は、江戸時代初期までは「富田(とだ)」と呼ばれる城下町であった。
町の東に聳えるのは、戦国時代にこの地方の実力者としてゆうめいであった尼子一族の本拠、月山、天子一族といえば、中国地方の覇権をめぐり毛利との争いに明け暮れた勇猛な一族として知られている。
5月より咲いておる花「扉(とべら)」
開花時期は、 5/15頃~ 6/ 5頃。 ・「扉」と書いて、この花の場合”とべら”と読む。 2月の節分にこの木の枝を扉にはさんで邪鬼を 払う風習があったため、「とびらの木」と呼ばれて いたのがしだいに変化し略され「とべら」になった。 ・「海桐花」とも書く。漢名。 ・扉 写真集(写真8枚) もどうぞ。 ・葉っぱは固い楕円形で、外側に反り返る。 葉っぱを火にくべるとはぜて燃える(パチパチッ)。 ・芳香あり。 ・秋に赤い実をつける。実の中のタネの部分は ネバネバになっている。 鳥の好物らしい。(季節の花300より)
