その尼子氏が盛んに利用した道が広瀬と清水を結んだ街道。広瀬から飯梨川に沿って北東に延び、灘尾、清水の二つの峠を越え安来にいたる、およそ18kmの道は、目的地によって「広瀬街道」、または「清水街道」と呼ばれている。
「広瀬街道」の歴史は古く、八世紀に編纂され「出雲国風土記」にも沿道の風景画記されている。
しかしこの街道が大きな意味を持つのは、平安の末期から鎌倉時代の初頭、富田城の築城からである。
広瀬町から安来を目指す広瀬清水街道
5月より咲いていた花「いぼのき」
・開花時期は、 5/15頃~ 6/ 5頃。 ・白い花でほとんど目立ちませんが ちょっとだけ香ります。 ・秋に黒く小さい実をつける。 (季節の花300より)
「広瀬街道」の歴史は古く、八世紀に編纂され「出雲国風土記」にも沿道の風景画記されている。
しかしこの街道が大きな意味を持つのは、平安の末期から鎌倉時代の初頭、富田城の築城からである。
広瀬町から安来を目指す広瀬清水街道
![](http://pub.ne.jp/yuuyake/image/user/1184313305.jpg)
・開花時期は、 5/15頃~ 6/ 5頃。 ・白い花でほとんど目立ちませんが ちょっとだけ香ります。 ・秋に黒く小さい実をつける。 (季節の花300より)
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