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スペインとポルトガル39 ジラルド広場は庶民の空間?

2022-01-22 16:08:01 | Weblog
写真はジラルド広場。焼き栗スタンドがいい匂いを漂わせているので、さっそく買い食い(リスボンでも焼き栗はよく見かけたのですが、団体行動時には買えなかった・・・)。

【広場をへそにして、できた二つの中心】
 エヴォラをへとへとになるまで歩きつくしたと思っていたのに、きままに歩くと別の街にきたみたいです。昨日歩いたエリアからほんの300メートル西にずれたところにはジラルド広場がありました。

 これぞ街の中心といった風情で、石のアーケードがぐるりと囲んでブティックが立ち並び、広場の真ん中には噴水施設もあり、人々が憩っています。
 中世のころは異端審問所の処刑が行われたり、闘牛が催されたり、市庁舎があったりした市民が集う表舞台でした。現在も街の観光案内所はこちらにあります。ここを中心にした道をたどると自然と街のくらしが目に入ってくるのです。

 昨日は大航海時代の歴史的史跡を(ここでご紹介した以外の史跡も含め)あらかた周ったのですが、ここを通ることはありませんでした。広くもない街で、じつにふしぎなことです。

 これって、と思い至ったのが両親の故郷グンマのこと。群馬県の県庁所在地・前橋市と県最大の人口を有する高崎市は、川をはさんだお隣の街。グンマ特有の県民性のせいでしょうか? 兄弟のようにいろいろとかぶって張り合ってしまうせいか、信じられないことに双方、気づかぬうちに行き会わなくていい構造が出来上がっていたのです。
 たとえば伊香保温泉に行く街道一つとっても前橋市民と高崎市民は平行した別の道を行っており、見る景色が違う。住んでいる人は自分の使う道しか通らないので意外と気づいていないのですが、前橋出身の友人ができてから高崎にゆかりの深い私は気づいて愕然としたのです。ケンカしないためなのか、意地のせいなのかはわかりませんが、本当の話です。つまりエヴォラもこういうこと?

 改めて地図をみると貴族の館のある広場とジラルド広場を直進でつなぐ道はなく、いずれも細いクランク道路など行きづらい形状の道でつながるのみ。意識しないとそれぞれの空間は行きづらいようになっています。ヨーロッパ中世の街ってどこもこうなのでしょうか?
ポルトガルの焼き栗は、天津甘栗と違っていて塩味がついている。アツアツの時はねっとりとしておいしい。冷めると素朴な木の実を食べている、という感覚。

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