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第2章:戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界
荒葉 一也
E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
2.ラ・マルセイエーズとインターナショナルの歌
第二次世界大戦は資本主義国家の米英仏と社会主義国家のソ連が共同して全体主義国家ドイツ・日本と戦って勝った戦争であった。わずか半世紀足らずの間に二度の世界規模の戦争を経験し疲弊した世界は国際連合を設立し恒久的な平和を追求した。
国連憲章は第一条で「国際の平和及び安全を維持すること」を目的とすると明記した。誰もが戦争は二度と御免であった。だが思想の異なる二大陣営の平和はすぐにほころびを見せた。但し両陣営が直接対決する「熱い戦争」をかろうじて踏みとどまり、「冷戦」と言う形の睨み合いが始まった。「冷戦」とは言え世界各地では西側資本主義諸国とソ連社会主義国両陣営の代理戦争と言う形で局地的な「熱い戦争」は絶えなかった。
それは中東では軍事クーデタと言う形の革命の形をとった。エジプトでは英国の支援を受ける王政派に対しソ連の支援を受けたナセルたち青年将校団との対決であり革命であった。またシリアでは実質的な権力を手放すまいとして特定少数派部族を支援するフランスとソ連の軍事援助を受けた多数派部族による部族間の権力争奪闘争であった。
当時は階級闘争の名のもとソ連による社会主義の嵐が世界に吹き荒れた。1952年にはエジプトで7月革命が起こり、同じ年の5月に極東の日本ではメーデー事件が発生した。そこでは国際的な労働歌「インターナショナル」の合唱が流れた。中東のシリアでも反フランスの都市インテリたちにより同じ歌が流れ、それに対して駐屯するフランス兵たちは駐屯地におけるトリコロール(三色旗)掲揚式で毎日のごとく国歌「ラ・マルセイエーズ」を大声で歌っていたものと思われる。
実は両方の歌詞は驚くほど似通っている。列記すると以下の通りである。
「インターナショナル」歌詞:
起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
「ラ・マルセイエーズ」歌詞:
行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の 喉を掻き切る!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!
両方の歌詞が余りにも似通っていることに読者は驚かれるであろう。種を明かせば両方とも作詞はフランス人で、歌が作られた背景は、「インターナショナル」は1871年のパリ・コミューンの時に「ラ・マルセイエーズ」の歌詞として作られたものであり、その10数年後に現在の曲が作曲されたものである。一方、「ラ・マルセイエーズ」はフランス革命のときに作詞作曲されたものである。
つまり両方の歌詞は双子と言って差し支えないほど似通っているのである。と同時に歌詞の内容は現代人の感覚ではとてもついていけないようなどぎついものと言えよう。フランス人たちが今でも国民的一体感を醸し出すような事件あるいはイベントに際して「ラ・マルセイエーズ」を歌うようであるが、彼ら自身がどのような気持ちで歌詞を読み込んで歌っているのかちょっと不思議な気がするほど激越な歌詞なのである。
フランスの支配地シリアで駐屯兵たちは「ラ・マルセイエーズ」を歌い、兵舎の外では現地のアラブ人たちが「インターナショナル」を歌う。自国領土内ならともかくフランス兵たちが外地で武器を取れなどと誰に向かって歌っているのであろうか。現地のアラブ人たちにとっては歌詞の対象となる明白な敵(フランス)が目の前にいる。
どちらの戦意が鼓舞されたかは言うまでもないであろう。仏軍の戦意は萎え彼らは撤退するのである。その後釜にシリアに入り込んできたのはソ連である。敵対する米国の手前自ら派兵するリスクは大きいためソ連は地中海沿岸のタルトス港の一部を借り受け軍港とした。ロシアは帝政時代の昔からバルト海とは異なる不凍港を求めて常に南進政策に取りつかれてきた。それが黒海のセバストポール軍港であるが、そこから地中海に出るにはトルコのボスポラス海峡を通過しなければならず何かと不都合である。タルトス軍港はソ連にとって地中海における橋頭保である。ソ連崩壊の後を受けて生まれた現在のロシア共和国にとってもタルトは死守すべき軍港であることは間違いない。
(続く)