石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

生産量は増えても売上・利益は減少:五大国際石油企業2019年7-9月期決算速報(5)

2019-11-13 | 海外・国内石油企業の業績

 

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

 

http://mylibrary.maeda1.jp/0483OilMajor2019-3rdQtr.pdf

 

 

2.2018年第3四半期以降の四半期別業績の推移(続き)

(上流に弱く下流に強いShell!)

(4)部門別利益の推移

(4-1)上流部門(図http://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-66.pdf 参照)

 前年の2018年第3四半期において上流部門の利益が最も多かったのはExxonMobilの42億ドルであり、BPの40億ドル、Chevronの34億ドルがこれに続いている。Totalの利益額は29億ドルで5社の中で上流部門の利益が最も少なかったのはShellの22億ドルであった。

 

続く第4四半期は各社とも利益が減少する中でBPは前期横ばいの39億ドルの利益を計上して5社のトップになった。Shellの利益は16億ドルに減少、前期に続き5社中の最下位であった。今年第1四半期も各社とも利益水準が低下、第2四半期の利益水準はわずかながら改善したものの、今期は再び悪化、上位3社(ExxonMobil、BP、Chevron)の落ち込みが激しく、ExxonMobil及びBPは1年前に比較すると利益が半減しており、各社とも過去1年で最低の水準である。

 

 5四半期を通じて各社の上流部門の利益を比較すると、Shellが5社の中で最も利益水準が低く、同社の上流部門は他の4社に比べて見劣りがする。上流部門ではExxonMobil、BP、Chevronの3社がトップ争いを演じながら上位グループを形成し、Shell及びTotalが下位グループとなる状況が続いているが、今期は上位と下位グループの差が縮小している。

 

(4-2)下流部門(図http://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-67.pdf 参照)

 下流部門は2018年第3四半期及び第4四半期まで全社が利益を計上していた。昨年第3四半期はBPが21億ドルの利益を計上、Shell、ExxonMobil及びChevron3社の利益は10億ドル台であり、Totalは9億ドルにとどまっている。続く第4四半期はShell及びExxonMobilの利益が急騰BP、Chevron及びTotalは低迷した。しかし今年第1四半期にはExxonMobilの利益が急減、ExxonMobilは5社の中で唯一3億ドルの欠損となった。今年第2四半期はShell及びBPが引き続き利益が減少、ExxonMobil及びChevronが増益となり各社の明暗が分かれた。今期は5社いずれもが前期よりも利益が改善しているが、特にShellはV字回復となり他社を大きく上回る26億ドルの利益を出している。

 

 

(5)設備投資の推移 (図http://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-64.pdf 参照)

 5社の過去1年間の四半期ベース設備投資額はExxonMobil及びChevronが毎期ほぼ安定した投資を行っている。ExxonMobilの投資額は66億ドル(’18 3rd Qtr)→78億ドル(4th Qtr)→69億ドル(’19 1st Qtr) →81億ドル(2nd Qtr) →77億ドル(3rd Qtr)であり、全期を通じて常に5社で最大の投資を続けている。

 

同社に次ぐ投資を行っているのはShellであり、その金額は58億ドル(’18 3rd Qtr)→71億ドル(’18 4th Qtr)→51億ドル(’19 1st Qtr) →52億ドル(2nd Qtr) →60億ドル(3rd Qtr)と推移している。Chevronの場合は毎期50億ドル前後でほぼ安定している。Total(62億ドル)は昨年第3四半期の設備投資がExxonMobilに次いで多かったが、その後急減し5社中で最も少なかった。しかし今期は67億ドルで再びExxonMobilに次いで5社中2位となっている。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail;maedat@r6.dion.ne.jp

 

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(14)

2019-11-13 | その他

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(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 第1章:民族主義と社会主義のうねり

 

荒葉 一也

E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

8.英雄ナセル:東西両陣営を手玉に取るアラブの星

アラブ世界で誰しもが認める英雄と言えば12世紀にイラクのティクリートで生まれたサラディン(サラーフ・アッ=ディーン)であろう。彼はエジプトを征服してアイユーブ朝を創設、また英国王リチャード1世による第3回十字軍と戦った勇士である。この時十字軍側が捕虜を皆殺しにしたのに対してサラディンは捕虜を殺さなかった。このことから彼は敵味方を問わずに愛され、英雄として歴史に名を残している。

 

サラディンから800年後の20世紀のエジプトに現れたナセル(ガマール・アブドゥル=ナセル)もアラブの英雄と讃えられている。サラディンが中世ヨーロッパのキリスト教十字軍と戦った英雄であったのに対し、ナセルはイギリスの保護国であったエジプトの王制をクーデタで打倒(1952年)、さらに西欧帝国主義国家の英仏を相手にスエズ運河の国有化を勝ち取っている(1956年)。

 

1918年にエジプト地中海沿岸の都市アレクサンドリアに生まれたナセルは陸軍士官学校卒業後スーダンに赴任、1948年のイスラエル独立宣言を契機に始まった第一次中東戦争では少佐として従軍した。この戦争でアラブが致命的な敗北を喫すると(ナクバ・大災厄)、彼は反英愛国の将校組織「自由将校団」を結成、1952年にクーデタでファルーク国王を追放した。エジプトは専制君主制から共和制に移行したのである。

 

この時まだ34歳であったナセルは大統領兼首相の座をナギブ将軍に譲ったが、1954年には権力闘争の末に自ら大統領に就任した。実権を掌握したナセルはその後汎アラブ主義を掲げエジプトをアラブの盟主の地位に押し上げる。汎アラブ主義は社会主義とアラブ民族主義が合体したものであり、その起源はシリアで生まれたバース党にある。汎アラブ主義はその性格上、英仏の植民地帝国主義あるいは米国資本主義と敵対する反面、ソ連社会主義に対しては親近感がある。

 

権力を握り理想に燃えるナセルがまず目指したのがスエズ運河の国有化であった。スエズ運河は19世紀半ばにフランス人のレセップスの手で開通したが、当初から経営への介入を狙っていた英国は放漫財政に苦しむエジプトから運河の株式44%を取得している。その資金源はこれまで同様ユダヤ人のロスチャイルドであった。こうして第二次大戦後までスエズ運河の管理権は英国とフランスが握っていた。

 

これに対してナセルはソ連のフルシチョフ書記長を味方に引き入れアスワン・ハイダムを建設、さらにスエズ運河の国有化を宣言したのである。英仏はこれに猛烈に反発、イスラエルを巻き込み第二次中東戦争が勃発した。戦闘そのものは軍備に勝る英仏イスラエル合同軍が主導権を握りイスラエルはシナイ半島を占領、スエズ運河は閉鎖された。アカバ湾突端の町エイラートは第一次中東戦争に続いて二度目の戦闘に巻き込まれ、戦争が終わってみれば周囲はユダヤ人ばかりでエジプト人たちは姿を消してしまった。エイラート郊外に住むパレスチナ人小作農のザハラ家は難民となり、8歳になった息子を連れて国境を接するヨルダンの港町アカバに逃れた。

 

第二次中東戦争は開戦の端緒となったスエズ運河の名前を受けて別名「スエズ戦争」とも呼ばれているが、米国を含めた国際世論は英仏及びイスラエルに終始批判的であった。この結果、ナセルは戦闘に負けたものの外交で勝利し、これによりアラブ世界で一躍ナセルの名声が上がった。彼は東西いずれの陣営にも属さない第三世界の指導者の一人に祭り上げられるのである。当時の第三世界の指導者にはナセルのほか、インドのネール首相、中国の周恩来首相、ユーゴスラビアのチトー大統領、インドネシアのスカルノ大統領などがおり、このうちナセル、ネール、周恩来、スカルノはアジア・アフリカの各国首脳に呼びかけ、1955年にインドネシアのバンドンで第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を開催する。この頃がナセルの絶頂期であった。

 

(続く)

 

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