(英語版)
初出:2010.7.26
三羽の小鳥(1)
未明に基地を飛び立ったイスラエル空軍のF16I戦闘機3機はアラビア半島の付け根を横断し、サウジアラビアとイラクの国境線上空を飛行しつつあった。東の空が白み眼下のネゲブ砂漠に陽光がさし始めた。砂漠の起伏が波のような影を作り、その影と赤茶けた砂礫が黒と赤の絶妙なコントラストを描いている。何万年いや何百万年昔からの変わらぬ光景だ。ヨーロッパとドバイを結ぶ民間定期便のパイロットにとっては見慣れた風景であるが、今回のミッションに赴く若きパイロットは感動的な面持ちで眼下の風景を眺めていた。雲ひとつない真青な空と乾燥し切った砂漠の狭間を三羽の小鳥たちはひたすら東に向かって飛翔を続けた。
イスラエル空軍選り抜きの3人。彼らは肌の色も父祖の出身地も、さらにパイロットになるまでの経緯も対照的と言えるほどに異なっている。それでも彼らは「祖国イスラエル」を守ると言う気持ちが誰よりも強く固い絆で結ばれていた。彼らはお互いをニックネームで呼び合っている。3人のリーダー役で雁行飛行の先頭を飛ぶのは「エリート」。右翼後方の二番手が「マフィア」。そして左翼後方三番手のパイロットが「アブダラー」である。
普通のイスラエル人であればこれらのニックネームを聞いただけで本人の出自がすぐにわかる。「エリート」の父親は第一次中東戦争、一般にはイスラエル独立戦争と呼ばれる戦いで活躍、その後は空軍パイロットとして三度の中東戦争でエジプト、シリアのソ連製ミグ戦闘機を撃墜するなど輝かしい戦功をたてた。1991年には空軍司令官として有名な「ソロモン作戦」の現場指揮をとっている。「ソロモン作戦」とはエチオピア内戦で首都アディスアベバに孤立したユダヤ教徒一万数千人をイスラエルに空輸すると言う空前絶後の作戦である。作戦名が両国を結びつけた古代の歴史「ソロモンとシバの女王」に因んだものであることは言うまでも無い。父親は将軍にまで上り詰め、退役した今も政府及び軍部の御意見番として穏然たる勢力を保っている。
「エリート」とその一族はアシュケナジムである。アシュケナジムは元々ドイツに住んでいたユダヤ人であり、彼の父も祖父もナチスのユダヤ人狩りで強制収容所に送られ、祖父はホロコースト(大虐殺)で亡くなった。父親もガス室に送り込まれる運命であったが、寸前に戦争が終結し強制収容所から救出された。まだ若かった父親はユダヤ人の祖国建設を目指すシオニズム運動に身を投じイスラエルに移住した。彼はそこで同じアシュケナジムの女性と知り合い二人の間に生まれたのが「エリート」である。
雑多な人種、国籍の移住者で構成されているイスラエルでは建国の中心となったアシュケナジムはエリートである。とりわけ「エリート」の一家はWASPと呼ばれる飛びきりの上層階級である。普通WASPと言えば米国東海岸のエスタブリッシュメントの代名詞「ホワイト(W)・アングロ(A)サクソン(S)・プロテスタント(P)」のことであるが、ここイスラエルでは「ホワイト(W)・アシュケナジ(A)・サブラ(S)・プロテクシア(P)」の略称である。サブラとはイスラエル建国のために最初に移住した人たちのことであり、いわばメイフラワー号で米国に上陸した移民家族のようなものである。そしてプロテクシアとは人脈があることを意味する。
仲間から「エリート」と呼ばれるのは、彼がこのような華麗な血脈と人脈をバックにしているためである。
(続く)
荒葉一也