今日の「休日のバッハ」は、三位一体節後の第9日曜日のためのカンタータ第94番(「われは何ぞ世を思い煩わん」)から、第4曲のアルトのアリアです。
このフルートに導かれたアリアは、バッハのカンタータの中でも一風変わった曲となっております。
英訳は以下の通りです。
4. Aria (A)
Deluded world, deluded world!
E'en thy riches, wealth, and gold
Are a snare and false pretense.
Thou may'st thine idle mammon treasure,
I will instead my Jesus favor;
Jesus, Jesus shall alone
Of my soul the treasure be.
Deluded world, deluded world!
この迷い多い世の中では、富も健康もゴールドもそれらは人々を陥れる誘惑であり偽りのものである。イエスだけがわが心にとっての宝である、と言った意味ですね。
まさしく、今回の大震災で家や仕事はもとより、愛する家族やペットまでも失った被災者の気持ちは、このようなものかも知れません。
話は少し飛躍しますが、有名なタルコット・パーソンズの母系にジョナサン・エドワーズという、プリンストン大学の第三代学長であった、アメリカのプロテスタンティズムを代表する神学者の一人がおります。彼は18世紀半ばに起きた「大覚醒」(The Great Awaken)のきっかけを作ったことで知られております。当時のアメリカのピューリタンが如何に自らが救済されることを強く望んでおり、各人は自らだけは救済の十分な条件を満たす正しい生活様式を選んでいると自負しておりました。でも実際にはそういった傲慢とも言える思い込みこそが救済されない証拠ではないかとの絶望的な懐疑が広く伝播しておりました。そのきっかけを与えたのはエドワーズのエンフィールドの教会での説教「怒れる神の手のうちにある罪人」でした。誠に面白いので再掲しておきます。
「昨晩、あなたが目を閉じて眠った後、地獄に堕ちることなく再びこの世に目を覚ますことが出来たのは、全く何の理由もありません。あなたが今朝起きて後、地獄に堕ちなかったのには、何の根拠もありません。ただ神の手があなたを支えていたに過ぎないのです。あなたが今日礼拝をするためにこの教会に座って今に至るまで、地獄に堕ちなかったことにも、何の根拠もありません。まさに今この瞬間、あなたが地獄に堕ちないでいられるのも、全く理由のないことです。」
この調子でエドワーズは、説教壇から垂れ下がった鐘の紐をじっと見つめながら、ただひたすら陰惨な罪への畏れを語っていたそうです。もともと学者肌であり、人気のある牧師ではなかったようですが、この説教は絶大な反応を引き起こしました。教会で聞いていた教会員たちは、半狂乱になって呻き叫んだといわれております。(以上、エドワーズの説教については、佐藤俊樹、「社会学の方法」を参照。)
まさに、このエドワーズの説教が、このバッハのアリアとともに語られていたら、この曲を最初に聴いた1724年当時の人々も、キリスト教における救済について、懐疑と絶望の間を彷徨っていたかも知れません。
演奏は、ヘルムート・リリング指揮のシュトットガルト・バッハ・コレギウム盤です。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
このフルートに導かれたアリアは、バッハのカンタータの中でも一風変わった曲となっております。
英訳は以下の通りです。
4. Aria (A)
Deluded world, deluded world!
E'en thy riches, wealth, and gold
Are a snare and false pretense.
Thou may'st thine idle mammon treasure,
I will instead my Jesus favor;
Jesus, Jesus shall alone
Of my soul the treasure be.
Deluded world, deluded world!
この迷い多い世の中では、富も健康もゴールドもそれらは人々を陥れる誘惑であり偽りのものである。イエスだけがわが心にとっての宝である、と言った意味ですね。
まさしく、今回の大震災で家や仕事はもとより、愛する家族やペットまでも失った被災者の気持ちは、このようなものかも知れません。
話は少し飛躍しますが、有名なタルコット・パーソンズの母系にジョナサン・エドワーズという、プリンストン大学の第三代学長であった、アメリカのプロテスタンティズムを代表する神学者の一人がおります。彼は18世紀半ばに起きた「大覚醒」(The Great Awaken)のきっかけを作ったことで知られております。当時のアメリカのピューリタンが如何に自らが救済されることを強く望んでおり、各人は自らだけは救済の十分な条件を満たす正しい生活様式を選んでいると自負しておりました。でも実際にはそういった傲慢とも言える思い込みこそが救済されない証拠ではないかとの絶望的な懐疑が広く伝播しておりました。そのきっかけを与えたのはエドワーズのエンフィールドの教会での説教「怒れる神の手のうちにある罪人」でした。誠に面白いので再掲しておきます。
「昨晩、あなたが目を閉じて眠った後、地獄に堕ちることなく再びこの世に目を覚ますことが出来たのは、全く何の理由もありません。あなたが今朝起きて後、地獄に堕ちなかったのには、何の根拠もありません。ただ神の手があなたを支えていたに過ぎないのです。あなたが今日礼拝をするためにこの教会に座って今に至るまで、地獄に堕ちなかったことにも、何の根拠もありません。まさに今この瞬間、あなたが地獄に堕ちないでいられるのも、全く理由のないことです。」
この調子でエドワーズは、説教壇から垂れ下がった鐘の紐をじっと見つめながら、ただひたすら陰惨な罪への畏れを語っていたそうです。もともと学者肌であり、人気のある牧師ではなかったようですが、この説教は絶大な反応を引き起こしました。教会で聞いていた教会員たちは、半狂乱になって呻き叫んだといわれております。(以上、エドワーズの説教については、佐藤俊樹、「社会学の方法」を参照。)
まさに、このエドワーズの説教が、このバッハのアリアとともに語られていたら、この曲を最初に聴いた1724年当時の人々も、キリスト教における救済について、懐疑と絶望の間を彷徨っていたかも知れません。
演奏は、ヘルムート・リリング指揮のシュトットガルト・バッハ・コレギウム盤です。
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