団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

同級生の死

2011-08-07 12:18:00 | 日記
昨日の朝 10時過ぎに中学時代の友人から一年ぶりに電話がありました。
「この前、電話したが居なかった!」と言うので「いつも家にいる訳ではないので、携帯に電話してよ。」と、言いました。

用件というほどの用件はないようでしたが、「Kを知っているか?」と、言うので「駅の近くに住んでいただろう。」と、答えましたら、今年の春先に肺がんで亡くなったとのことでした。
去年の12月に入院したとのことでしたが、若いせいか進行が早かったようです。
誕生日は偶然にも私と同じでした。

彼は私と違って頭も良く、運動神経も良かった覚えがあります。
中学校の水泳大会ではいつもトップを競っていました。
私は彼とは親しくなかったのですが、55歳の時の初めての同窓会の二次会で、私の帰り際に彼から握手を求められて、「よく来てくれた。」と、言われたのが最後になってしまいました。
子供の頃から親分肌でしたが、大人になっても変わらない雰囲気を持っていました。

電話をしてくれた友人の話では、おかあさんと、奥さんが上手くいかず、三十年近くも奥さんと別居状態だったとのこと。
彼が60の時、お母さんが亡くなったので、再び奥さんと暮すようになったとのことでした。
友人が「Kはマザコンでどうしようもない!」と言いました。

私は覚えはないですが、家内に「母親の方が大切だ!」と、言ったという前科があるので、黙っていました。
彼も60才で退職しているので、葬式の手助けをする人がいなかったらしいです。
それに60才でマンションに引っ越したのも、手伝う人がいなかった要因だと思います。
彼と同窓会の幹事をした仲間7人が葬儀の手伝いをしたとのことです。
電話をかけてきた友人もその一人です。
彼の子供達も葬儀が終わるとさっさと帰ってしまったらしいですが、生活を共にしなかった父親では仕方がないように思いました。

先程も書きましたが、彼が55歳の時に再び会ったのですが、その時はお母さんと二人で孤独だったと思うのですが、そんな雰囲気はまったくありませんでした。
親分肌で、人が集まってくるようなタイプの人間だと思っていました。

それにしても人の命は分かりません。
この歳になると、一期一会の気持ちでいなければいけないと思いました。
コメント
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